島を歩く
1. 見る島と歩く島
個別の庭園の記事で書いた記憶もしますが、島が混んでいたりして、島の形、全体形が見えないことがあります。たとえば中津万象園(丸亀市)もそうだし、桂離宮(京都市)もそうです。特に桂離宮は池・島の輪郭が複雑で、どこが島なのだかわかりません。松琴亭のある場所や賞花亭のある場所は、平面図で見ると島ですが、現地で見ると島の感じがしません。
さてここで疑問があります。これらの島は神仙島などに見立てた島なのでしょうか?
日本庭園の解説書を見るとだいたい「XXの島は神仙島である」「蓬莱島である」と解説がありますが、先ほど書いた2つの島(松琴亭のある島と賞花亭のある島)も神仙島なのでしょうか。ちょっと考えて、私は違うと思いました。島にさえ見えない(庭の本土というか、池の外周に見える)のでは神仙島の表現としてよくないでしょう。
ではあの2つの島はどういう意味があるのか。島の姿をめでるのか?松島などの他島美をまねたものか?これもあまりもっともらしくないと思います。というのも島の姿がよく見えず、島である事さえ分かりにくいからです。
というわけで、私の結論(暫定)は、あれは歩くのを楽しくするための島なんだということです。つまり、橋を渡って、水路を越えて歩くというのが面白かったのだろうと思います。多分、島の中にもいろいろあって、見ることが中心の島もあれば歩くことが中心の島があるのでしょう。
2. どのルートがメインルートか
以上のように、一応、歩くことがメインの島もあると思っておくことにします。では、池の周りを歩くルートと島に渡るルート、どちらがメインだったのでしょうか。
例えば桂離宮庭園では池の南岸に何もないエリアがあります。また玄宮園の池の南西岸にははほとんど馬場しかありません。これらの庭園にメインルートがあったとすれば、島へ渡る道だったのだろうと思います。
池の南東側の島(建物が建っているところ)は、島なのかどうかわかりにくい