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園路の技法

回遊式庭園という用語だけは解説書によく出てきますが、見るだけの庭園(鑑賞式庭園)とはどう違うのでしょうか。

ここでは私が気になった回遊式庭園ならでは技法をいくつか紹介します。技法について考えることを通じて、見るだけの庭園とは違う回遊式庭園の設計思想や、面白さの方向性​が次第にわかってきました。

【路に関する技法例】

1:直線路

直線の路が時々あります。庭の中でも入口から近い部分や、中門へのアプローチなどに使われています(桂離宮 御幸門前後、慈照寺中門へのアプローチ、栗林公園 南庭北部など)。

​直線の路の左右を木立などで囲うと、通る人の意識と視線を路の行く先に誘導し、奥に誘う効果があるとされます。

2:折れ曲がり、クランク

​直線の路が長く続くことは少なく、多くの場合は折れ曲がりがあって先が見通せないようになっています。写真は栗林公園にあるクランク状の通路です。

クランク状の路(栗林公園)

3:門の向こうで曲がる路

折れ曲がりに近い点もありますが、門があってその向こうで路が曲がっているケースです(​写真は中津万象園)。

中津万象園の園路と中門

4:路の脇の築山

視界を遮る高さの築山(人工の山)は江戸時代の大名庭園によくあります。築山のある部分では視界が狭く、閉ざされた場所と感じ、そこを通り抜けると空間が広がります。

5:路の屈曲

ことさら大きく路を曲げている場合もあり、左右に切り替えながら細かく路を曲げている場合もあります。

曲がった路の左右に立木や人工の山があると、見える範囲は自分近くに限られ、移動にしたがって見える景色が変化することになります。

園路の屈曲と築山の組み合わせ

6:飛石と歩きにくい路

飛石や歩きにくい道では、視線は自然に下を向き、歩く速度はゆっくりになります。これは、人が体を使って歩くくために見方や感じ方に影響を受けている例です。当然、座って室内から見る庭園では起こりません。

写真は栗林公園の沢飛石ですが、自然と下を向くのできれいな流水が目に留まります。

きれいな流水のところにある沢飛石

7:狭い空間、くびれた空間

短い距離ではありますが、圧迫感を感じるくらい狭い空間を通ることが時々あります。​通常そのような狭すぎる空間は長く続かず、狭い場所は抜けて広い場所に出ます。

茶室のにじり口や茶庭の中くぐりをヒントにしたのかもしれませんが、このように空間を感じるという点も回遊式庭園ならではです。

写真は水景園。

一旦狭くなる空間

8:複雑な池と、池沿いの路

縮景園の池が良い例です。

池の輪郭が激しく出入りしていると、池に沿った路を歩くだけでも、半島の先に向かう時と入り江の奥に向かう時では目に入る風景が大きく変化します。

​歩くことで視点の位置も視線の向きも変わる、これは室内から見る庭園とは違うところです。

複雑に出入りする縮景園の汀線

9:分岐

多くの場合、路は一本道ではなく分岐があります。

横路には見どころがあるとは限りません。一見ただの林ということがよくあります。

こういった「見どころ」の無い横路をなぜ造ったのか考えると、見る以外の面白みということを考えずにはいられません。​

気ままに思い付きで横道に入れるということが面白かったのかもしれませんし、先の見えない小径に入ってみることで、ささやかな冒険心を満たしていたのかもしれません。それとも、目を奪うものもないただの林を歩くのが落ち着く、ということなのでしょうか?

RitsurinOffstreet.jpg

【まとめ:技法から考える、見る庭園との違い】

以上のように歩く庭園には、見るだけの庭園ではありえない技法が使われています。そのことから、見る庭園とは違う面白さについて考えることができます。その違いをどう表現するかですが、今回私はこのようにまとめました。

  1. 連続性:歩く庭園の景色は単独の景色ではなく、順序のある一続きの景色です

  2. 主体性:路を奥へ進むことや、広い路ではなく横路を通ることは自分が主体で行うことです

  3. 身体性:足を使って歩くからこそ感じることがあります

  4. 空間体験:自分がその場にいるので、空間の広さや狭さ、囲われていることや開放されていることを強く感じます。

​見る庭園と同じものを求めるのではなく、歩く庭園ならではの面白さを理解すれば、一層庭園が楽しくなるでしょう。

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