流水
【概要】
流れの場合、何かを象徴する使い方は(池の場合よりずっと)少ないようです。つまり、見た目そのままに、透明感や清涼感、躍動感、などを感じるものです。
【歴史】
飛鳥時代の庭にも流れがあったようですが、その遺構は四角い池から直線的な水路が出るもので現在私たちが思う日本庭園とは全く違ったようです。
奈良時代から平安時代にかけて、庭の小川で曲水という行事が行われた記録があります。これは盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んで次へ流し、別堂でその詩歌を披露するするという行事で儀式や遊びとして行われました。
平安時代の貴族の庭園(寝殿造庭園)では、広い敷地内の湧水を水源として流れを作り、池に水を導き入れました(遣水といいます)。遣水は流路を折り曲げて変化をつけ、水辺と水中の所々に石を配しました。当時遣水は重視されたようで、平安時代に書かれた『作庭記』では遣水に一章を割いて、敷地の東から南西に流すのが常道であることや勾配は一尺に三分(3パーセント)にすることなどが書かれています。
遣水は平安時代から鎌倉時代の庭園によく作られましたが、室町時代には衰退したということです。
江戸時代の庭園では流水は無いことも多いのですが、岡山後楽園や兼六園などに長い流水の例があります。
明治時代には庭に流れを作ることが流行します。始まりは京都の南禅寺界隈で、琵琶湖疎水が開通して水の便がよくなったために流水のある庭がいくつもつくられました。このうち無鄰菴庭園では池を廃止するという当時としては思い切ったことをしました(他の庭では池を廃止せず、池に小滝や小川を加える感じでした)。
【なぜ流れを造るのか】
・涼感を感じる
・水音を立てさせる
・ものを流す(曲水の宴など)
・水を循環させる
【流れの形態観察】
流れの平面形、曲折
傾斜は急かゆるいか
断面は
水量は多いか
川幅はどれくらいか
水底
水中の石
水辺の処理
護岸はすっきりした間知石積みで、水面近くまで芝生になっている。幅広で水量が多い。
護岸石は苔で隠して、大体自然な山のように見せる。
「造園の手引き」(誠文堂新光社)によれば流れのモデルには「渓谷」「 谷間の流れ」「野の流れ」がある。これは野の流れ 無鄰菴庭園
幅広で水量豊か。カーブの内側が州浜になっているのは砂の堆積を表すのか
水盤のヘリを水が伝い落ちる
池のヘリから下の池に水が落ちる
栗林公園に少しだけある流水