あまり紹介されない栗林公園の北庭
更新日:2023年5月12日
栗林公園の北庭は江戸時代には御殿、畑、鴨猟場などがあり、庭園としての整備はあまり進みませんでした(北庭の整備が進んだのは明治以降です)。それでもいくつかは庭園らしい景物や、文献に名所として登場する場所があります。江戸時代から残る由緒あるものと、明治以降の明るいくつろぎ空間に分けて北庭をご紹介します
1.江戸時代から残るもの
・永代橋周辺の石組
橋は明治時代にかけ替えられたものですが、橋周辺には陰陽石などが江戸時代のものです。陰陽石は江戸時代の大名庭園によくみられるもので、御家繁栄を願う民間信仰的なもの。
・石梁と蓮池
石梁とは石橋のこと。石橋に欄干がついているのは日本では珍しい気がします。その向こう、ハスの見えているところが芙蓉沼。石梁も芙蓉沼も江戸時代の文献に登場する園内名所。
・百石松(鶴亀松)
もとは家老の屋敷にあったとされる松ですが、現在では北庭の見どころの1つ。
百石松という名前について、家老がこの松の手入れに熱中しすぎて遅刻し、500石から400石に減給されたという逸話がありますが真偽は定かではありません。この逸話は『栗林公園』(藤田勝重 著 学苑社 1974年)に紹介されています。
(2)明るいくつろぎの空間
・芝生広場
北門近くに芝生広場があり、気候の良いときにはお弁当を食べている人や寝転んでいる人がいることも。広場の真ん中に大きめの木があり、なんとなくあの木の下で休みたいような気になります。
・平らで広い路
北門から商工奨励館まで、S字状に広い路があります。このS字の路は明治終わりから大正初めにかけての大改修で整備されました。広く平らな路は、気楽に自分のペースで歩けます。
・自然な林と、アクセントとしての建物
木が自然なのに対して、あずまやがいかにも人工的で硬いのが対比になっています。
ここにはもともと鴨猟の際カモを見張るための建物(当然目立たない)がありましたが、明治の改修でこのようなアクセント的建物になりました。建物の土台は江戸時代のもの。
ヒマラヤスギの大木
新宿御苑のヒマラヤスギと同レベルの大木です。明治時代、左右1対で植えられましたが、片方だけが生き残りました。
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