養翠園 図上考察と想像
更新日:2023年5月12日
まだ行けていない庭園について、googleマップなどからいろいろと想像してみる。
今回は和歌山県和歌山市の養翠園について。江戸時代に紀州徳川家が造った大名庭園だ。1つの池を中心としたシンプルな平面設計に見える。
まずは写真と平面図からわかる事実を見てみよう。養翠園は水軒川の北岸にあり、やや東西に長い。池が大きく、特に東部では敷地の境界ぎりぎりまで池になっている(路を造るくらいの陸地はあるが)。この辺りでは池の汀線は直線的で出入りがない(池の西部では汀線は曲線になるが、出入りはあまり大きくない)。中島が1つあり、島には弁財天の社がある。池の南岸から弁天島を通り北岸に渡る通路がある。池の西に建物があり、その西に船蔵があって川につながっている。
ではちょっと考えてみる。
・池が大きく汀線の出入りが少ないのは舟遊び用の池という感じがする。
・弁財天のある島から池の北岸への路は、直線的な堤と反り橋を組み合わせた「西湖堤」と呼ばれるもので江戸時代に人気だったモチーフ。ほかの庭園では西湖堤は一直線なのだが、養翠園ではL字型に曲がっていいるのが珍しい。
・池の西にある建物は地図と公式サイトによると「養翠亭」。ここから庭を見たりここで宴を開いたりしたのだろう。この養翠亭が主要な建物で、庭は養翠亭から見る前提で作られたと思う。東西に長い池を西から見るので池の広がりが感じられるはず。
・主要建物が池の西にあり東に視界が開けている。月見のためかもしれないし、東にある山を借景として使いたかったのかもしれない。
・たぶんお殿様は船で来て、船蔵に舟を入れて養翠亭に上がったのだろう。一方来客は園の北部にある正門から入って養翠亭で殿様と対面する、というシナリオが想像できる(あくまで想像)。
・入口と主要建物が園の西部にある一方で、池の東と東北には何もない。
・道はかなり単純で分岐や屈曲は少ない。回遊重視ではないのかもしれない。
以上。現地に行ったら考えが変わるかもしれない。
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