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日本三名園あるいは日本三公園

【日本三名園と言う言い方はいつからあるのか】

俗説で三名園と言いますが、いつだれが言い出した、どのような基準で選んだのか?実はよくわかっていません。

​このうち、「いつから」について、かつては明治37年の外国人向け写真集が「三名園」の初出とされていましたがどうも違うようです。以下では、三名園というくくりの初期の用例を見ていきます。

1. 明治24年『後楽園真景並詳誌』

関連する部分を抜粋すると、

「城の北手に流を隔て 一区を成して東西南北四方を竹林(やぶ)に囲われしは 日本三公園の其一と 世にも知られし後楽園」(関係する部分を抜粋)

とあります。

​*国立国会図書館デジタルコレクションで見ることができます

後楽園眞景及詳誌

2. 明治32年​ 日本三名園之一 後楽園新図

 

明治32年(1899年)には日本三名園という言い方が存在したことがわかりました。タイトルだけでなく本文にも「日本三名園」とあります。

 

「十八年車駕西巡しヒツを此園に駐め給ふ。而して園の結構深く叡慮に副ふ。ここに於てか園の名 大に著れ、日本三名園の一に称せらるるに至れり」

(2019年4月)

デジタル岡山大百科で 「後楽園新図」を検索すると見ることができます。

後楽園新図

3. 明治43年 高等小学読本(第2期)

- 第六課「公園」(p20) 

公園の必要を論じた文章の中で、「名高き公園」として、偕楽園、後楽園の名を挙げています。

 

​「名高き公園には、諸侯の庭園を公開したるもの多し。例えば我が国にても、水戸の偕楽園は徳川候の庭園、岡山の後楽園は池田候の庭園たりしが如し」

高等小学読本20p.jpg

3. 明治43年 高等小学読本(つづき)

- 第六課「公園」(p22) 

 

偕楽園、兼六園、後楽園の名が出てきますが、ここでも「三公園」であることに注意。三公園と三名園、2つの言い方があったようです。

​欧米の公園としてロンドンのハイドパーク、ニューヨークのセントラルパークなどを挙げ、それに並ぶものとして「三公園」をあげています。

「我が国にて風致の美を以て世に聞こえたるは、水戸の偕楽園、金澤の兼六園、岡山の後楽園にして、之を日本の三公園と称す」

高等小学読本22p.jpg
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