何のために造るのか
【何のために - くつろぐ、あそぶ、つきあう、まつるetc.】
人は何のために庭を造ってきたのでしょう
古い庭には皆、鑑賞以外の目的があります。主に何かに使う場所のセッティングです。具体的には
・くつろぐ、散策する
・遊び、趣味活動の場所として使う
・社交、饗応、接待の場として使う
・儀式を行う。神仏や先祖を祀る、顕彰する
といった使い方をしたでしょう。
例えば平安時代の貴族の邸宅。広い庭がありましたが、そこで貴族たちは使者を迎える式典を行い、管弦の遊びをし、曲水の宴を行ったとされます。庭の池に舟を浮かべて遊ぶ貴族の姿を、教科書や資料集で見た人も多いでしょう。貴族や宮廷の庭には広場状の場所があり、敷物を敷いたり仮設の建物を作ったりしてイベントに使用しました。
別の例では、江戸時代の大名庭園では茶会や歌会、月見や花見の会を催していました。将軍家や他家からの客人を接待することもあり、家臣団と慰労会や懇親会的な飲み会を開いたこともありました。中には藩主が趣味の能を披露したという例もあります。桂離宮などの宮廷庭園でも同様です
見ることしかできない庭が造られるようになったのは、いつとは言えませんが、使う庭よりずっと新しいことです。独立した芸術として庭を造る例が出てきたのはさらに新しく、20世紀になってからのことです。
現在でも大部分の庭には鑑賞以外の意義があります。それは憩いの雰囲気づくりであったり、園芸などの趣味活動であったりします。
こういったことを考えると、緊張感をもって真剣に鑑賞するのだけが良いとは言えません。ある作庭家・研究者の本に、このような文章が書かれていました。
「かなり以前のことだが、作庭の名人といわれる人に、『どんな庭が好きですか』と聞いたことがある。『そら、桂や』という返事が返ってくるのかと思っていると『酒を飲みながらゆっくり眺められる庭がよろしいでっせ』と、いつも冗談しか言わない人が真顔で答えてくれた。(中略)ご本人が改修中の京都の名園に対して、『この庭では肩が張って、酒なんか飲めまへんやろ』とにやりと笑った。やはり名人と呼ばれる人は庭園鑑賞の仕方もわかっているようだ」
『日本庭園と風景』(飛田範夫 学芸出版社)序文より
人が何のために庭を造るのか考えれば、くつろぐべき庭ではくつろぐ、ということだろうと思います。
【庭は施設の性格と目的によって違う】
庭が何かのためのセッティングだということは、施設の性格や用途によって求められるものも変わるということです。
道場や修行場にふさわしい雰囲気を作ることが目的なら閑寂でストイックなものが求められるますし、社交場を飾るためならば明るい華やかな庭が求められます。引退した人が趣味活動に没頭する隠れ家的な家ならば、落ち着ける庭・主個人の好みを出せる庭になることが多いでしょう。
【その他の使い方 -生産活動、教育研究など】
セッティング以外にも庭は様々に使われました
主に大名庭園の例になりますが、庭に茶畑や水田を造った例があります。水田については経済活動というより、豊作を願う儀式に使ったり、教育に使ったりしたのでしょう。現代の公園も自然学習などに使われます。
また、薬草の栽培方法を研究したり花を品種改良したりと、農業試験場的なことを行った例もあります
植物以外では、焼き物を作っているお庭も少なくなかったようで、「御庭焼き」という言葉があるくらいです。また、兼六園では幕末に噴水を試作してみたり、仙巌園では灯篭の火にガスを使ってみたりとさまざまな技術の実験も行っています
[宮跡庭園]
[城南宮](写真: PIXTA)
寺を深山になぞらえるとともに、若い僧に努力を促すメッセージを出す[天龍寺庭園]
江戸時代の回遊式庭園には茶室があるものが多い。茶会を開いたり来客を茶で接待したりすることが庭の意義の一つだったと考えられる。
松琴亭(右奥)には炊事設備や、食事の保温設備とされるものがある[桂離宮]
[詩仙堂]
応接間を飾るようなもの[智積院庭園]
弓場[桂離宮]
[今治国際ホテル 瀑松庭]
後楽園の茶畑 (奥)
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