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庭をどう分けるか2 古文に見る4区分

【学術的分類と、庭を造り利用する側からの分類】

鑑賞以前の視点による庭の分け方、というお話の続きです。

庭の分類については「枯山水」「茶庭」などと庭の様式によって分類することがよく行われます。それはそれで無視しがたい分類なのですが、基本的には研究者視点での分類であって、庭を造った昔の人の感覚ではありません。

​庭を作った当時の人は庭をどうとらえていたのか、庭を表す言葉から探ってみましょう。

『京都発・庭の歴史』によれば庭を表す言葉に4系統あり、建物との関係や用途によって分かれていたということです

【古文献に現れる、庭を表す4系統の言葉

1. 大庭 (おおば、おおにわ)
2. 坪 (つぼ)または壺(つぼ)
3. 屋戸 (やど)
4. 島 (しま) 、嶋(しま)または泉水 (せんすい)

・大庭 (おおば、おおにわ)とは普通建物前に造られた広い平らな庭。儀式や公的行事に使われる格の高い場所。狭義の大庭とは宮廷の紫宸殿前や平安貴族の寝殿造り住宅に造られたものです、同じような機能を持った場所は離宮や寺社にも存在します

ちなみに「にわ」とはそもそも作業や儀式などのための平らな空間を指し、池や築山で修景した場所を「にわ」と呼ぶのは時代が下ってからのことです


[資料]
国立国会図書館デジタルコレクション『年中行事絵巻』巻一
  法住寺殿(上皇の御所)を天皇が訪問する行事が描かれている
  大庭での行事の様子はPDFでp39からp43
国立国会図書館デジタルコレクション『年中行事絵巻』巻七
  紫宸殿南庭(大庭)での踏歌節会(1月の宮廷行事)が描かれている
  踏歌節会の様子はp9からp12
東大寺総合文化センター 公式ウェブサイト お知らせ 特集展示「江戸時代の大仏開眼・大仏殿落慶供養」
1692年の大仏開眼供養、1709年の大仏殿落慶供養会を描いた屏風の写真がある。大仏殿前の庭に臨時の舞台や仮設の建物が見える
伎楽info 東大寺毘盧遮那仏発願1250年慶讃法要1993 
大仏開眼1250年慶讃大法要 (奈良県立図書館ITサポーターズ)
  大仏殿前の庭で1993年、2002年に行われた大法要の写真がある。

法住寺殿の大庭
紫宸殿南庭(大庭)での踏歌節会(

​お寺の本堂前にもこのような儀式のための場所がありますが、禅宗寺院の本堂 (方丈) 前の庭は次第に使われなくなり、跡地に石などを置くようになりました。

​写真は東福寺方丈庭園ですが、本堂 (写真右) の階段や左の唐門に注目。

東福寺方丈庭園

神社にもこのような広場状の庭があります。

ちなみに蹴鞠を行う庭を鞠壺といいます。

 

[資料]金刀比羅宮表書院及び四脚門|文化遺産オンライン表書院の写真の手前に鞠壺(表書院前庭)が写っている金刀比羅宮|表書院ページをスクロールすると鞠壺で蹴鞠を行なっている写真がある表書院との位置関係や、蹴鞠をする場所の四隅にある木がよくわかる​  (1本は枯れたのか3本しかないが)

・坪(つぼ)とは建て込んだ住まいに風を通し、日光を取り入れる庭のこと。御所などに存在する古い「坪」は物の少ない開けたスペースで、内輪の行事などに使っていました。

[資料]
国立国会図書館デジタルコレクション『年中行事絵巻』巻九
​  仁寿殿東の坪(現存せず)で行われた舞の様子が描かれている。p22からp25

・屋戸(やど)とは、敷地の境界と建物との間などになんとなく存在する余地。通路として使われたり、物を置くスペースになったり、せっかく場所があるのだからと観賞用植物が植えられたりします(そして園芸など住人の趣味活動の場にもなります)。道路や隣の建物との間に余白を置くことで快適さやプライバシーをもたらすなど、人の営みの上で重要なスペースです。


万葉集、古今集などには屋戸の植物を詠んだ歌も数多くあります(参考:和歌データべース https://lapis.nichibun.ac.jp/waka/menu.html)

「あきさらは-みつつしのへと-いもかうゑし-にはのなてしこ-さきにけるかも」(秋になればこの花を見て偲んでくださいと妻が植えたわが家の撫子が咲いているよ)
大伴家持 『万葉集』 巻3 0464 

「わかやとに-さきしあきはき-ちりすきて-みになるまてに-きみにあはぬかも」
(私の庭に咲いた秋萩が散って、実になるまでになっても、あなたに逢っていない)
読み人知らず 『万葉集』巻10 2286

「あきはきぬ紅葉はやとにふりしきぬ道ふみわけてとふ人はなし」
(秋が来て紅葉が庭いっぱいに降り積もっているが、その道を踏み分けて訪ねてくる人はいない)
読み人知らず 『古今和歌集』 287

龍安寺方丈北側の庭

・島(しま)または泉水(せんすい)とは、池を掘って島を造るなどして風景を造ったところで、いわゆる「庭園」と重なるところが多い部分です。蘇我馬子が「嶋大臣」と呼ばれたのはこの種の庭を持っていたからです。

香風園
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