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このサイトの方針

いろいろな良さの方向性を認める

鑑賞以前のことを知る
無心に楽しむことと遊んで楽しむことを忘れない
自分の視点を持つ

​庭だけで終わらない

◆多様性

サイトタイトルにもあるように、「庭は多様である」という前提で書いています。

なぜ庭は多様なのかというと一つには「求められるものがいろいろだから」かもしれません。庭が独立した芸術として作られることはまれで、普通は何かの施設の付属品として、雰囲気作りや環境づくりのために作庭されます。そして何の施設なのかによって求められる雰囲気と庭園内のつくりはかなり変わるでしょう。​そう考えてこのサイトではメインメニューを「庭で何をするのか」「庭に何を求めるか」で分けています。また、鑑賞以前の、庭の利用などについても少し書いています。

私自身の庭巡りの原点にあるのは大名庭園で、後になって視野を広げるためにお寺の庭や現代アートの様な庭に行くようになりました。だから私からすると地方の大名庭園が「京都のお寺と比べて」うんぬんと貶されるのはどうも納得がいきませんでした。というわけで、庭のお約束や専門用語よりもまず「庭はいろいろなんだ」という実態を訴えたくなったわけです。

​◆無心に楽しむ、使って楽しむ / 鑑賞以前のことを知る

ちょっとほかのジャンル、例えば音楽や文学のことを考えてみてください。

音楽や小説であれば、理屈も知らず無心に楽しんでいた経験がまずあって、後から理論や知識を学んだ人が多いでしょう。


あるいは建築や陶芸であれば、鑑賞以前に家という建築物に住みお皿や茶碗という陶磁器を使うという形でなじんでいるでしょう。鑑賞以前の常識として、お寺の五重塔と住宅は違うし、陶器の置物と陶器のお皿は違うことを知っているでしょう。

音楽や文学にしろ建築や陶芸にしろ、当たり前になじんでいる人がたくさんいて、鑑賞以前に体験的になんとなく理解しているものがたくさんあります。

これに対して、庭園というのはマイナーな分野で、当たり前になじんでいる人が少ないのです。庭園になじみのない人が解説書などを読んで、そこに書かれていることがすべてだと思うのは不健全です。

◆自分流に

何か調べものをしようとネット検索したら、同じような解説ばかりがヒットしてげんなりしたという経験はありませんか?庭について言えば、庭の歴史、分類、石組、景物について書いた本、サイト、記事は他所にたくさんあります。供給過剰です。蓬莱神仙思想、禅、茶道の影響についても他の人がたくさん書いてくれています。あまりにも横並びの解説で、供給過剰です。

​というわけでこのサイトでは、「日本庭園とソテツ」やら、「庭園の中の直線」やら、できるだけ自分流の着眼点で解説と事例集を載せていきます。そしてこの文を読んでいる人にも、横並びのことを書かないようお願いします。

◆庭だけで終わらない

庭園マニアの書いたものには庭園だけを他と切り離して語る傾向があります。

ですが私はその方針はとりません。

社会の中の庭と、庭を通じた楽しみについてちょっと頭の隅に置き、広い視野と学際的教養を意識して​、​農業、土木、地質、建築、その他何やかんやも書いていきます。

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