「回遊式」庭園で何をしたのか
スマートフォンが実際には電話もできる多目的端末であるように、「回遊式」庭園という呼び名でも実態は多目的の庭園でした。「回遊式庭園は回遊するものか」も参照してください。
この記事では江戸時代の回遊式庭園で何をしたのかを施設面と記録面から考えます。
【施設面から】
・弓場、馬場、鴨場など
江戸時代の大名庭園には弓場、馬場があるのが普通でした。現在では桂離宮、岡山後楽園などの弓場跡、玄宮園、縮景園、岡山後楽園などの馬場跡を見ることができます。写真は桂離宮の弓場跡です。
江戸時代には多くの大名がスポーツ的な鴨猟を行い、庭園内に鴨猟のための場所 (鴨場) が造られることもありました。このような鴨場は浜離宮恩賜庭園に現存しているほか、栗林公園北庭に復元されています。
写真は栗林公園に復元された鴨場。細い堀にカモを誘い込み、堀の横に隠れていた人が網でカモを捕まえるという狩猟法でした。奥にある土の盛り上がりと小窓は、カモの様子をうかがう場所です。
・茶室、煎茶室
江戸時代の大名庭園や離宮庭園は茶室を備えているのが普通です。このことから茶会を開いたり接待を行ったりすることが庭の存在意義の1つだったと考えられます。桂離宮庭園の各茶室、兼六園の夕顔亭、栗林公園の日暮亭などが現存し、縮景園の明月亭、岡山後楽園の茂松庵などが再建されています。
江戸時代後期から明治時代にかけては、もう1つの茶道である煎茶道も流行しました。中津万象園の観潮楼、玄宮楽々園の楽々の間などは江戸時代の煎茶室の貴重な現存例です。
・食事、集会、展示などのできる場所
食事もできる大きめの休憩所、といったものが様々な庭園に存在しました。写真は桂離宮庭園の松琴亭です。
・舞台
茶室と比べて数は少ないのですが、舞台が設けられることもありました。写真は岡山後楽園延養亭の能舞台です。
・船着き場
船着き場や船の停泊場所の遺構が各地の庭園にあります。例えば桂離宮庭園、修学院離宮庭園、玄宮園、中津万象園、縮景園、浜離宮恩賜庭園などです。
これら船着き場は本邸との連絡や舟遊びのために使われたものでしょう。
園内の池の船着き場の跡は桂離宮庭園、修学院離宮庭園、玄宮園、中津万象園などで見ることができます。また園内と園外をつなぐ船着き場の跡は縮景園、玄宮園、岡山後楽園などで見ることができます。
写真は桂離宮庭園の船着き場跡です。
【記録面から】
・武芸と軍事訓練
藩主が弓術、馬術の訓練をしたり、家臣が藩主の前でこれらの武芸を披露したりといったことは記録にも残っています。意外なところでは幕末に洋式の軍事訓練を行ったという記録が残っています。
・各種の猟
鴨引き堀と網を使った猟については施設のところで書きました。
このほかに銃猟、鷹狩、鳥もちを塗った竿による小鳥の猟なども行われたことが記録からわかります。
・趣味、文化活動
茶道、詩歌、書画、能などは江戸時代の上流階級のたしなみでした。
例えば岡山後楽園を造らせた池田綱政(いけだ つなまさ)は能に熱心で後楽園でたびたび能を舞い、領民に見せることもありました。また丸亀藩主 京極高朗(きょうごく たかあきら) は『琴峯詩集』という詩集を出している漢詩好きですが、詩の中には中津万象園で詠んだものも複数あります。
これら上流階級の教養に加えて、俳諧、芝居など当時流行の娯楽に興味を示す大名もいました。例えば六義園を作った柳沢吉保の孫 信鴻 (のぶとき) は俳諧が趣味で、引退後六義園に住み、そこで例年1~3回は俳諧の催しを開いています。
・風物詩的なもの
花火、山菜採り、蛍狩りなど季節の風物詩的な活動も記録に残っています。
例えば神原 邦男著『大名庭園の利用の研究―岡山後楽園と藩主の利用』によると
1825年、岡山後楽園の東の村から花火を打ち上げ、藩主は城内から、家臣は後楽園から見物したということです。同じ本に、岡山後楽園での蛍狩りのため、事前に3000匹の蛍をあつめて園に放したというエピソードも紹介されています。
・たあいのない遊び
駆けっこ、すもう、凧あげなど、上流階級の庭で行うにはたあいないような遊びも記録に残っています。
例えば前記の柳沢信鴻と六義園ですが、小野 佐和子著 『六義園の庭暮らし』によると安永6年以降何度も藤代峠で駆けっこが行われています。同じ本に、信鴻が六義園で凧あげをしたことも書かれています。当時の凧あげは大人の遊びだったようです。
・その他、レアなイベント
臨時の特殊なイベントにも回遊式庭園が使われたようです。
例えば1798年に品川沖でクジラが捕まった際、当時の将軍徳川家斉(とくがわ いえなり)が希望したためクジラを浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)沖に運び、将軍は浜御殿から見物しました。
また1866年にゾウ、トラなどが見世物として金沢に連れてこられた際兼六園にも運ばれ、8月25日に巽御殿(現在の 成巽閣)で、9月22日竹沢御庭(現在の兼六園上段のあたり)で披露されたようです。
詳しく知りたい人は8月25日の披露についてはリンク先を、9月22日については 長山 直治 著『兼六園を読み解く』を参照してください。
【Learn More】
白幡 洋三郎 『大名庭園―江戸の饗宴』 (1997 講談社選書メチエ)
神原 邦男『大名庭園の利用の研究―岡山後楽園と藩主の利用』(2003 吉備人出版)
長山 直治 『兼六園を読み解く―その歴史と利用』(2007 桂書房)
安藤 優一郎 『大名庭園を楽しむ お江戸歴史探訪』 (2009 朝日新聞出版 朝日新書)
小野 佐和子 『六義園の庭暮らし: 柳沢信鴻『宴遊日記』の世界』 (2017 平凡社)
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