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日本庭園とソテツ

日本庭園にソテツが植えられた歴史は意外に古く、室町時代にまでさかのぼります。

【日本庭園におけるソテツの歴史】

*室町時代~桃山時代

重森完途 著『日本の庭園芸術』 (1957年)には「今少し蘇鉄について記してみると、この植栽を庭園に入れたのは室町時代であり、そのエキゾチックな姿を非常に珍重したのである」とあります。

ソテツという言葉が文献に登場するのは1488年です。『蔭涼軒日録』に、「大内の庭にそてつという草あり。高麗より来たる。かぶより葉出でて、一間にはばかるほどなり。ぜんまいの大なるような者なり」とあります。説明的な書き方をしているのはなじみのない植物だったからでしょう。本来南方の植物であるソテツを「高麗より来たる」としているのは、大内氏の入手ルートがそうだったのか、あるいは「外国=高麗」という認識だったのでしょうか。

このように15世紀には庭園に入ってきたソテツですが、すぐには普及せず、珍しいものという扱いで限られた庭に使われました。

上級武士の庭以外では、寺院の庭にも比較的早くからソテツが植えられた例があります。例えば堺の妙国寺の庭園には天然記念物の大ソテツ(日本三大ソテツの1つ)があるのですが、このソテツは1562年に寺が建てられた時すでにあったものだといいます(創建時に寄進されたと書いているサイトも)。伝説によれば織田信長に召し上げられて一時安土城に移植されていましたが、怪奇現象が起こったので寺に戻された、とのことです。​

​*桃山時代~江戸時代前期

​桃山時代から江戸時代初期にかけてソテツは流行しました。

桂離宮二条城、西本願寺、醍醐寺三方院、各地の大名庭園などに植えられています。二条城のソテツは現在は1本しかありませんが、当初は60本もあり、8代将軍吉宗の時代でも15本あったそうです。この時代は権力者や有力寺院の庭で青石の巨石が流行した時期でもあり、当時の庭で高密度の青石にソテツを組み合わせたものが複数現存しています。

茶人古田織部の言葉を書き留めたとされる『古田織部正殿聞書』には「内外之路地ニ棕櫚蘇鉄可植也」(内外の路地に、シュロ・ソテツ植ふべきなり)の記述があり、茶庭にもソテツが植えられた可能性を示しています。ただし『古田織部正殿聞書』の扱いには注意が必要であり、確実にあったとは言えません。

またこれも茶庭の例ですが、伏見城での茶会に際してソテツばかりを植えた路地があったという記述があります

 

「御座敷 五畳敷 此入ノ次第ハ、先クリヲハイ入テ松原有、御スキヤトノ中ノ間二、ス戸ノハネキト有、是ヲ通テソテツ斗ノ路地アリ。是ヨリ御数寄屋ニハイ入候也」と、(『宗湛日記』 1597年(慶長二年)2月24日の記事)

 

​*江戸時代中後期

江戸時代中後期になると史料も増え、各種の絵の中にソテツが登場しますし、寺でも大名関係でもない民間の庭にソテツを植えた例も見られます

ソテツ自体が絵のメインになることもありました

文人画家与謝蕪村(1716-1784)には「蘇鉄図」という作品(重文)がありますが、この絵は香川県丸亀市の妙法寺庭園にあったソテツを写生したものだとされます。この時代の地方寺院にソテツがあったことの例証です。

蕪村と年代の近い画僧 鶴亭(かくてい:1722-1785)にも「四君子・松・蘇鉄図屏風」(しくんしまつそてつずびょうぶ)という作品があります。

各地の名所や街の風景を描いた絵にも、ソテツが描かれました

京都の名所を絵で紹介した『都林泉名勝図会』では本願寺の項目に、ソテツのある庭の絵が描かれています

歌川広重(初代)作『東海道五十三次・赤坂 旅舎招婦ノ図』では、旅館らしき場所の中庭にソテツが描かれていますし、富岡八幡宮(深川八幡宮)境内のソテツが、『江都名所 深川富岡八幡』『東都深川富ケ岡八幡宮境内全図』『江戸高名会亭尽 深川八幡境内』などに描かれています。

また備後国安那郡神辺(現、広島県福山市神辺町)の本陣(大名などの重要人物が泊る旅館)であった尾道屋にソテツがあったことが『菅波信道一代記』からわかります(詳しくは後で)

【流通ルート】

*商業化以前から贈答を通じて流通

ソテツの入手ルートを見ると、桂離宮のソテツは島津から献上されたもので、栗林公園のソテツも島津から贈られたとされます。二条城のソテツは多くは出所不明ですが、記録によると少なくとも1本は佐賀の鍋島家が献上したものです。静岡県にある龍華寺(りゅうげじ)のソテツ(天然記念物、日本三大ソテツの1つ)も、徳川頼宣と徳川頼房が寄進したものとされます(現地案内板による)

こうしてみると江戸時代前期にはソテツはまだ商業ルートで販売されておらず、贈答という形で流通していたようです

*江戸時代後期には市販

江戸時代の後期、19世紀になるとソテツが植木屋で売られていたことがわかります。1830年代に刊行された『江戸名所図会』の第一巻には薬師堂の縁日に植木屋が店を出している挿絵があるのですが、棚の上に鉢植えのソテツが描かれています。また、歌川国房作の浮世絵「植木売りと役者」にも、棚の上に鉢植えのソテツが描かれています。マツ盆栽やサボテン(!)と並んで棚の上に置かれているのは高価な商品という扱いなのでしょう

その価格については先にも書いた『菅波信道一代記』が参考になります。この本は山陽道の宿場町で本陣を経営した人物の自叙伝ですが、1846年に庭をリフォームした際の経費を

「蘇鉄の代金五両二歩、猶又庭の集め石、其代又もや十二両、猶又数多の植木代、三両一歩二朱計り、庭師の手伝旦雇賃、其代有増二両二歩、集め合して申すれは、二十三両一歩二朱」

と書いています

ソテツの本数や大きさは不明ですが、同じ本に「裏表の蘇鉄の類、棒松二本、柳の類、信道是を植ふ」とあるから2本以上だったでしょう。2本以上としても、ソテツ以外の植木(「猶又数多の植木」)をあわせたより高額で人件費(「庭師の手伝旦雇賃」)の2倍以上ですから、高価だったことは間違いありません。ソテツの代金だけを別に書いていることからすると、これがリフォームの目玉だったのかもしれません

​参考:

・レファレンス共同データベース

「ソテツが日本の庭園樹木として植えられるようになったのはいつ頃か知りたい」

https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000129268

・妙国寺のソテツ 堺市https://www.city.sakai.lg.jp/kanko/rekishi/bunkazai/bunkazai/shokai/bunya/tennen/sotetsu.html

・錦絵で楽しむ江戸の名所

江都名所 深川富岡八幡

https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail379.html

東都深川富ケ岡八幡宮境内全図

https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail382.html

江戸高名会亭尽 深川八幡境内

https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail385.html

・国立国会図書館デジタルコレクション

『江戸名所図会』(巻1)

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1176676

コマ番号82 縁日の場面で棚の上にソテツの鉢植えが見える。

・江戸の園芸熱(たばこと塩の博物館)|美術手帳

https://bijutsutecho.com/exhibitions/3325

2019年に開かれた展覧会の紹介記事。「植木売りと役者」の画像あり

写真AC

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