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古文に見る庭

昔の人は、庭をどう楽しみ、どのような視線で見ていたのでしょうか

​ここでは古典文学や歴史書などから昔の人々の庭との関わりを見ていこうと思います。

【詩歌に詠まれた庭】

庭園はしばしば詩歌の題材になっています。個人的に歌を詠むだけでなく、 庭で歌会を開くこともあり、前庭の草木を題材に和歌の勝負をする前栽合 (せんざいあわせ) という遊びもありました。 あきさらは みつつしのへと いもかうゑし にはのなてしこ さきにけるかも (「秋になったらこの花を見て私を思い出してください」と妻が植えた、庭の撫子が咲いているよ) 大伴家持 『万葉集』 巻3 0464 妻と死別して間もないころの歌でしょうか。ナデシコなどの花を庭に植えていたことが分かります。 わかやとに まきしなでしこ いつしかも はなにさきなむ、なそへつつみむ (私の庭に蒔いたナデシコは、いつになったら咲くでしょうか。(咲いたら)あなただと思って見ようと思っています。) 大伴家持 『万葉集』 巻8 1448 大伴家持はなでしこを愛しました。『万葉集』にはなでしこを詠んだ歌が26種ありますが、うち11首は大伴家持の詠んだ歌です。 「やど」は本来「家」「家の戸口」の意味ですが、家の庭を意味することもあります。 わかやとに さきしあきはき ちりすきて みになるまてに きみにあはぬかも (私の庭に咲いた秋萩が散って、実になるまでになっても、あなたに逢っていない) 読み人知らず 『万葉集』巻10 2286 庭にある植物が季節感などを表すものとして詠まれています。 にはにふる ゆきはちへしく しかのみに おもひてきみを あかまたなくに (庭に降る雪は何重にも積み重なっておりますけれど、わたくしがあなたをお待ちしていた思いはこの程度ではありません) 大伴家持 『万葉集』巻17 3960 わかそのの すもものはなか にはにちる はたれのいまた のこりたるかも ([あの白いのは]、私の園のスモモの花が散り敷いているのか、それとも薄雪がまだ残っているのか) 大伴家持 『万葉集』巻19 4140 「その」も「には」も庭のことですが、ニュアンスの違いが感じられます。花びらや雪が積もるのは「には」の方。「には」には地面のイメージがあるのに対して「その」には無いようです。 やちくさに くさきをうえて ときごとに さかむはなをし みつつしのはな 大伴家持 『万葉集』巻19 4314 (いろいろな種類の草木を植えて、季節ごとに咲く花をたのしもう) おしのすむ きみがこのしま けふみれば あしひのはなもさきにけるかも 三形王 『万葉集』巻20 4511 (オシドリが住んでいるあなたの家のこの庭、今日見たらアセビの花も咲いていますね) 「しま」は庭園の古い言い方の1つで泉水・築山のある庭園のことです。 三形王(みかたおう、みかたのおおきみ)は奈良時代の皇族。奈良時代の庭園にアセビの花があったことが分かります。また、「きみがしま」の「きみ」とは中臣清麻呂という人物で (←4508番の歌の題詞からわかります)当時の位が従五位下、最高の官位が正二位右大臣という名門貴族です。そのような貴族の家には池などがある本格的な庭園があったということでしょう。 ちなみに次の歌 (巻20 4512) は同じ場所、同じ機会に大伴家持が詠んだものですが、その歌にもアセビが登場します。 さとはあれて ひとはふりにし やとなれや にわもまかきも あきののらなる (里は荒れ、住む人も年老いた宿だからでしょうか、庭も垣根も秋の野原のようになっております) 僧正遍照 『古今和歌集』248 あきはきぬ紅葉はやとにふりしきぬ道ふみわけてとふ人はなし (秋が来て紅葉が庭いっぱいに降り積もっているが、その道を踏み分けて訪ねてくる人はいない) 読み人知らず 『古今和歌集』 287 よるならは月とそ見ましわかやとの庭しろたへにふれるしらゆき (夜であったら月だと思って見るだろう、我が家の庭にしろく降り積もっている雪を) 紀貫之『拾遺和歌集』246 「やど」も庭のことですが、「にわ」とはニュアンスの違いがあります。すでに書いたように「にわ」には地面のイメージがあるので、雪が降り積もるのは「にわ」の方です。 庭草にむらさめふりてひくらしのなくこゑきけは秋はきにけり (庭の草ににわか雨が降ってひぐらしの鳴く声を聞くと「秋が来たんだなぁ」と感じる) 柿本人麻呂『拾遺和歌集』1110

【史書、公式記録に書かれた庭】

史書を見ると庭園で公式、準公式の宴会が開かれた様子が書かれています。 奈良時代にはすでに、貴族の屋敷で梅の花を観賞する宴会が開かれていたようです。 それが桜の花を見る「花見」になったのは平安時代のことで、812年(弘仁3年)に嵯峨天皇が神泉苑で催した「花宴之節」が記録に残る最古の花見とされています。 「神泉苑に幸(みゆき)す。花樹を覧(みそなは)し。文人に命じて詩を賦せしむ。綿を賜(たま)ひ差有り。花宴之節は此において始まれるや」 (神泉苑においでになり、花樹をご覧になり、文人に詩を作らせ、綿を下賜された。花見の宴はここに始まったのだろうか) 『日本後記』より 「白河院、一におもしろき所は、いづこかあるとゝはせ給ひければ、一にはいしだこそ侍れ。つぎにはとおほせられければ、高陽院ぞ候ふらんと申すに、第三に鳥羽ありなんや。とおほせられければ、とば殿は君のかくしなさせ給ひたればこそ侍れ。地形眺望など、いとなき所也。第三には俊綱がふしみや候ふらんとぞ申されける」 『今鏡』より。「俊綱」は『作庭記』の著者とされる橘俊綱のこと。 「月夜には史館の儒士をめさせられご酒宴ありて詩歌の御遊びありし所なり」 『後楽園紀事』より、長橋の説明(白幡 1997より孫引き)。 長橋とは小石川後楽園にかつて存在した橋で五十三間もあったといいます。その途中に広くなった舞台状のところがあり、そこは酒宴を行っていた場所だという説明です。 「正月、後楽園の梅花盛んに咲く。史臣を尚古閣に召して宴を賜う。公自ら盃酒を酌みて賜い、又梅花一輪を盤中に挿み、和歌一首を詠じて掛け賜う 一枝を 手折る袂に 吹入れて 梅が香匂う 春の夕風」 『水戸紀年』より、小石川後楽園で観梅の宴を開いたという文化六年(1809年)の記事。

【随筆等に書かれた庭】 随筆からは庭のある生活や庭に関する美意識など様々なことが分かります。 たとえば『枕草子』には 庭に雪山を作って遊んだお話がでてきます 「師走の十余日のほどに、雪いみじう降りたるを、女官どもなどして、縁にいと多く置くを、「同じくは、庭にまことの山を作らせ侍らむ」とて、侍(さぶらひ)召して、仰せ事にて言へば、集りて作る。主殿寮(とのもり)の官人の御きよめに参りたるなども皆寄りて、いと高う作りなす」 ​(12月10日過ぎに雪がたくさん降ったのを女官たちが縁側にたくさん積み上げたが、「どうせ積み上げるなら、庭に本当の山を作らせよう」というので、職員を呼んで、ご命令だと言えば、侍たちが集まって作る。主殿寮の職員などもみな集まって、大変高く作った) 「職の御曹司におはします頃、西の廂にて」の段 「九月つごもり、十月のころ、空うち曇りて、風のいと騒がしく吹きて、黄なる葉どものほろほろとこぼれ落つる、いとあはれなり。桜の葉、椋の葉こそ、いととくは落つれ。十月ばかりに、木立多かる所の庭は、いとめでたし」 (9月末、10月ごろ、空が曇って風がたいそう騒がしく吹き、黄葉した葉がはらはらと零れ落ちるのは大変哀しげな情感がある。桜の葉、椋の葉は特に早く落ちてしまう。十月ごろに、木立の多いところの庭はとても素晴らしい) 『枕草子』より「九月つごもり、十月の頃」 の段 ​ 「九月ばかり、夜一夜降り明かしつる雨の、今朝はやみて、朝日いとけざやかにさし出でたるに、前栽の露は、こぼるばかり濡れかかりたるも、いとをかし」 (9月ごろ、一晩中降り続いた雨が今朝は止んで、朝日が鮮やかに出てくるというときに、庭に植えた木の露が零れ落ちるほどに濡れているのもとても趣深い) 『枕草子』より「九月ばかり(長月ばかり)」の段 「御前の草のいとしげきを、などか、かき払はせてこそ と言ひつれば、ことさら露置かせて御覧ずとて と宰相の君の声にて答へつるが、をかしうもおぼえつるかな」 (「御前の草がたいそう茂っているので『なぜそのままにしているのですか。刈り払わせればいいのに』と言うと『わざわざ草に露を置かせてご覧になるというのでそうしています』と、宰相の君の声で答えたのが、趣深いとも思われました」) 『枕草子』より「殿などのおはしまさで後」の段から、右中将という人物が中宮定子の庭について語っている部分。 「今めかしくきららかならねど、木立ものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子・透垣の頼りをかしく、うちある調度もむかし覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ」 (今風の華やかさはないが、庭の木が何となく古びがついて、わざとらしくない庭の草も美意識ある様子で、簀子・透垣の配置も面白く、何気なく置いてある道具も古風な感じで落ち着く感じがするのは、奥ゆかしいと思われる) ​ 「賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる」 (下品な感じがするもの。座っている周りに道具が多いこと、硯に筆が多いこと、持仏堂に仏像が多いこと、庭に石や草木が多いこと、家の中に子孫が多いこと、人に会って言葉が多いこと) 『徒然草』より 「宗易 牽牛花みことにさきたるよし太閤へ申し上る人あり さらは御覧せんとて 朝の茶湯の御渡ありしに 朝かほ庭に一枝もなし 尤無興におほしめす 扨小座敷に御入りあれハ 色あさやかなる一輪床にいけたり太閤をはしめ召しつれられし人々目さむる心ちし給ひ はなハた御褒美にあつかる 是を世に 利休あさかほの茶湯と申傳ふ」 (宗易のところにアサガオが見事に咲いていると太閤に申し上げた人がいて「では見よう」と朝の茶の湯にいらっしゃったが、アサガオが庭に1つもなく不機嫌になった。さてそれから小さな茶室にお入りになると色あざやかな一輪が床に活けてあった。太閤はじめお供の人達も感嘆し、たくさん褒美をいただいた。これを「利休アサガオの茶湯」として世に言い伝えられている) 『茶話指月集』

【日記に書かれた庭】 庭で遊ぶ様子や庭の手入れなど、様々な日常のことが日記に書かれています。 たとえば六義園の藤代峠 (太隠山) でかけっこをした記録が、柳沢吉保の孫 信鴻 (のぶとき) の日記に複数回出てきます 「太隠山納涼 鳥、力、伊達吉、万吉、かけくらべ。山坂にて転倒」 「太隠山納涼 嶺にて蕎麦喫す。船津、万吉、山にて追い駆け比べする」 「太隠山納涼 伝芝を刈る。松悦、角、山頂よりかけくらべ。松悦転倒。帷子おおいに汚れるゆえ普段着つかわす」

【庭づくりの指南書】 『作庭記』 『作庭記』とは、平安時代に書かれた日本最古の庭園書。著者は確定していませんが、橘俊綱(藤原頼道の次男)という説が有力です。 「石をたてん事、まづ大旨をこゝろふべき也。 一、形により、池のすがたにしたがひて、よりくる所々に、風情をめ□□□□、生得の山水をおもはへて、その所々は□こそありしかと、おもひよせ—たつべきなり。 一、むかしの上手のたてをきたるありさまをあととして、家主の意趣を心にかけて、我風情をめぐらして、してたつべき也。 一、国々の名所をおもひめぐらして、おもしろき所々を、わがものになして、おほすがた、そのところになずらへて、やハらげたつべき也」 「南庭ををく事は、階隠の外のハしらより、池の汀にいたるまで六七丈、若内裏儀式ならば、八九丈にもをよぶべし。礼拝事用意あるべきゆへ也」 南庭について。建物と池の間に儀式のための場所を空けておけと書いています。 ​ 「又嶋ををくことは、所のありさまにしたがひ、池寛狭によるべし。但しかるべき所ならば、法として嶋のさきを寝殿のなかバにあてゝ、うしろに楽屋あらしめんこと、よういあるべし。楽屋は七八丈にをよぶ事なれバ、嶋ハかまへて、ひろくおかまほしけれど、池によるべきことなれバ、ひきさがりたる嶋などををきて、かりいたじきを、しきつゞくべきなり」 池の中島について。 島は場所に合わせること、中島に楽屋を造ること、楽屋は大きい方が良いが、場合によっては仮のもので対処すること等を書いています。庭の実用的側面に関係する記述です 「又ひとへに山里などのやうに、おもしろくせんとおもハバ、たかき山を屋ちかくまうけて、その山のいただきよりすそざまへ、石をせうせうたてくだして、このいゑをつくらむと、山のかたそわをくづし、地をひきけるあひだ、おのづからほりあらはされたりける石の、そこふかきとこなめにて、ほりのくべくもなくて、そのうゑもしハ石のかたかどなんどに、つかハしらをも、きりかけたるていにすべきなり」 『作庭記』は抽象的な方針の話が中心ですが、ところどころ具体的アイデアも書いています。 建物を建てようと思う場所のすぐ近くに築山を築き、築山のすその石に柱を立てると山を切り崩して露出した岩盤に柱を立てたようで面白いとのことです。

【フロイス『日本史』に書かれた意外な事実】 戦国時代末期から安土桃山時代にかけて日本に滞在した宣教師ルイス・フロイスは、お寺の枯山水について意外な記述を残しています。 「(前略)この回廊の片側には庭があったが、そこには、遠方から運ばれ、この庭のために求め選ばれた特別の石でできた、一種の人工の山または丘以外にはなにもなかった。この岩山の上には、多種多様の小さい樹木と、幅1パルモ半の路と橋がかかっており、そこでは、こうした技巧は一段と鮮やかである。地面は、一部は、粗く真白い砂が敷かれており、他のところは小粒な黒石でできている。それらの間に、高さ1コヴァド半、ないし2コヴァドのいくつかの自然石の塊があり、その上には多くの薔薇 (ローザ) に交じって草花が植えられていた。仏僧たちの説によれば、年中、それらのうちどれかが入れ替わりに花咲くとのことであった」 ルイス・フロイス著  松田 毅一/ 川崎 桃太 訳 完訳フロイス日本史〈1〉将軍義輝の最期および自由都市堺―織田信長篇(1) (中公文庫) 文庫  2000 この記述は大徳寺の塔頭のいずれかとされています

【参考図書 サイト】

白幡洋三郎 『大名庭園 江戸の饗宴』講談社選書メチエ、1997年

倉田実 『庭園思想と平安文学』花鳥社 2018年

和歌データベース 

https://lapis.nichibun.ac.jp/waka/menu.html

万葉集ナビ

https://manyoshu-japan.com/

作庭記 nakatani-seminor.org

https://www.nakatani-seminar.org/kozin/niwa/sakuteiki/sakuteiki.ht

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