庭の転換点、あるいはパラダイムシフト
日本庭園の歴史について書いた本やweb記事は多いのですが、大体が「いろいろな事実に一通り触れてみました」というものになっています。そこで疑問に思うのは、特に大きな転換点はどこなのか、そこはどういう意味で大きな転換点といえるのか、ということです。
そんなことを思っていた時に、戸田芳樹、野村勘治共著『日本庭園を読み解く~空間構成とコンセプト~』という本を見つけました。内容は主に空間構成についての解説なのですが、冒頭で日本庭園の歴史をおさらいし、日本庭園には4回のパラダイムシフト(思想的枠組みの大転換)があったと述べています。これが面白かったのでそのまま紹介しましょう
庭園の始まり
第1のパラダイムシフト キーワードは「国風」
第2のパラダイムシフト キーワードは「寓意性」「象徴性」
第3のパラダイムシフト キーワードは「身体性」「自在な空間」
第4のパラダイムシフト キーワードは「自然」
【庭園の国風化 600年ごろ】
庭園というものが飛鳥時代に大陸から伝わった時には朝鮮半島の影響が大きかったのですが、次第に国風化しました。たとえば、庭の池は最初は四角い池だったようですが、奈良時代にかけて曲線的な池に変わっていったことが発掘調査によってわかっています。平安時代には庭園の国風化がピークに達しました。
【寓意性の発見 1200年ごろ】
鎌倉時代に渡来した禅宗は鎌倉末期から室町時代にかけて庭園に影響を与えました。例えば龍門瀑です。これは鎌倉末期から室町前期にかけての寺院庭園で人気だったモチーフで、滝は悟りに至る(苦労の多い)過程を表し、滝を上ることが悟りになぞらえられています。
このように「悟り」など物理的な形を持たないものを何かに置き換えて表すこと(寓意)が始まったのが第2の転換点です。
【身体性の発見 1600年ごろ】
桃山時代千利休が完成させた茶道は江戸時代の回遊式庭園に影響を与えました。
茶庭は止まって見るというよりも歩きながら感じる庭であり、「門をくぐる」「飛石を渡る」といった行為が感じ方に影響を与えます。庭の設計者はこのことを計算に入れて、庭を歩く人の行動と感じ方をコントロールすることができます。例えば飛石などをわざと悪きにくすることで来園者に下を向かせたり、歩く速度を遅くしたりすることができます
【自然の再発見 1900年ごろ】
前掲の本によると「西欧文化が伝わり、自然主義の視点で庭園を見直した時代」。思想や宗教を脇へやって、見たままに美しく楽しめる庭を造るようになったのはある意味平安貴族の庭への回帰ともいえるかも。
現在まで続く庭の主流です。
曲線の池、州浜
曲線の池、州浜
龍門瀑
龍門瀑
大徳寺龍源院北庭の須弥山石組と遙拝石。須弥山は仏教的理想を、遙拝石はそれに近づこうとする姿勢を表す。
茶庭の中くぐり
桂離宮の白川橋は非常に狭い。これは歩く人に下を向かせるためと言われる。
幅や高さがばらばらで歩きにくい石段は、下を向かせるためだとガイドの人が言っていたが。
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