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妙法寺で蕪村ゆかりの庭園を見る

更新日:2月14日

自分の行動範囲にある町でも、いつも行く決まったところ以外は知らない、ということはよくあることだと思う。時には、遠方の人に教えられることもある。この妙法寺(みょうほうじ)も、自分の行動範囲にあるのだがこれまで存在さえ知らず、「おにわさん」のTwitterで初めて知った。

【妙法寺について】

妙法寺は香川県丸亀市にある天台宗の寺院。文人画家の与謝蕪村(よさ ぶそん)が滞在し「蘇鉄図(そてつず)」(重文)などを描いたことにより、蕪村寺(ぶそんでら)とも呼ばれる。この「蘇鉄図」に描かれたソテツのあったのが妙法寺庭園。


【妙法寺と与謝蕪村】

蕪村は1766年から1768年にかけて数回にわたって妙法寺に滞在し「蘇鉄図」「寒山拾得図」「山水図」「寿老人図」「竹図」を遺した。

蕪村が初めて妙法寺に来たのは1766年の秋で、琴平に住む俳句仲間(菅暮牛[かんぼぎゅう]という人)を訪ねる途中、泊るところを探して立ち寄ったのが妙法寺だったらしい。この時蕪村は無一文で、下男部屋に寝させてもらった。その後蕪村は無事に菅暮牛に逢うことができたが、菅暮牛は妙法寺の檀家だったので、改めて蕪村を妙法寺に連れていった(このとき、「客間に蕪村がいない」と騒ぎになって探したら、下男部屋で下男と話し込んでいたのだとか。説明をしてくれた寺の方の話)。ここから蕪村と妙法寺住職との付き合いが始まった。

蕪村はその後何度も妙法寺を訪れていくつもの絵を描き、そのうち「蘇鉄図」など6点が残っている。1768年の初夏、去り際に「長尻の 春をたたせて 棕櫚の花」の句を詠んで京都へ帰り、その後は讃岐を訪れることなく1783年に亡くなっている。


​【庭園について】

庭園は敷地の西側(東が入り口なので奥である)にある池泉庭園。石が山から崩れたように配されていて「崩れ石の庭」という。庭の北西にはソテツがある。お寺の方の説明によると本来本堂(庭園の南)から見るものだったそうだが、現在見学者は客殿(庭園の東)から見るようになっている。


【蘇鉄図について】

文化遺産オンラインによると重用文化財「蘇鉄図屏風」は1766年の作。1971年に重用文化財に指定された。

「蘇鉄図」はもともと本堂の襖絵として描かれたものだったが明治時代に四曲一双の屏風に作り直されている。1967年に油性のフェルトペンで落書きされるという被害にあい、一時は修復不可能と言われていたが、名古屋の表具師武智光春によって1983年に修復された。この修復の様子は、NHKのドキュメンタリー番組『名画復元~表具師執念の技~』など、マスメディアでも取り上げられた。

現在「蘇鉄図屏風」のオリジナルは公開されていないが、デジタル複製された「蘇鉄図」が客殿の襖となって公開されている。襖であるから書かれた当時の姿に近い。写真撮影も可能。


2021年5月訪問

妙法寺庭園 向かって左
妙法寺庭園 向かって左
妙法寺庭園 向かってやや右
妙法寺庭園 向かってやや右


妙法寺庭園 向かって右
妙法寺庭園 向かって右

蘇鉄図 (複製)
蘇鉄図 (複製)

【基本情報】

・施設の性格:仏教寺院

・作庭時期:江戸時代

・所在地:〒763-0021 香川県丸亀市富屋町9

富屋町商店街の中にひっそりと存在する。

・アクセス:JR丸亀駅から徒歩5分

​高松自動車道善通寺I.C.または坂出I.C.から車で13分

周辺には丸亀駅前地下駐車場や複数のコインパーキングあり。門前にも駐車場5台分あり。

・公開状況:通年公開(有料)

【外部サイト】

天台宗妙法寺~蕪村寺~ (公式サイト)




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