桂離宮
更新日:4月1日
今夜見る 月の桂の 紅葉の 色をば知らじ 露もしぐれも 智仁親王
【前説】
京都市街の西にある桂離宮(かつらりきゅう)は江戸時代初期に皇族の別荘として造営されました。庭園は江戸時代からすでに高名だったようで、小堀遠州の子孫が拝観を願い出たというエピソードがあります。書院群も名建築として高名です。
庭園・建築とも特に文化財指定はされていませんがこれは「宮内庁が管理する物件には文部科学省は関与しない」という慣例のため。同じ理由で修学院離宮等も文化財指定はされていません。
【歩く】
普段大名庭園に慣れている管理人が注目したのは、土の道が無いということ。歩くところは基本的に砂利敷き、敷石、または飛石になっています。特に御幸道の付近は小石を「平らな面を上に向けて」敷き詰めるという凝り様です。
ただしこのように平らで歩きやすいのは入り口に近い側で、庭の奥に入ると平らなところは少なくなり、急傾斜のところもあります。飛石も多数ありますが、このサイズの庭でこのように園路が飛石メインのところはほかに知りません。しかもこの飛石、石が小さかったり配置が不自然だったりと、わざと歩きにくくしている印象があります。
なお、見学コースは700mくらい。サイズ感の参考までに。
【江戸時代の桂離宮】
1624年には相国寺の僧が桂離宮を訪れ、公用日記である『鹿苑日録』に「赴桂八条親王別墅 庭中築山鑿池 池中有船有橋有亭 亭上見四面山 天下絶景也及暮而歸矣」と記しています。現在の桂離宮庭園からはあまり周辺の景色が見えませんが、この時には「亭上見四面山」つまり亭から四方の山が見えたとあります。
1925年には金地院の僧、崇伝が桂離宮を訪れて扁額を書いています。
【見るだけではない庭】
【評価と評判】
重鎮的な研究者で、桂離宮を特に高く評価した人物としては森蘊が知られています。
現在も桂離宮は池泉回遊式庭園というジャンルの代表として認識され、研究によく使われます。
一般人のクチコミを見ると、桂離宮を高く評価する人は繊細緻密さや貴族的美意識、歴史などを感じているようです。一方、あまり評価しない人は「作為が見えすぎる」「窮屈な感じがする」「自然への敬意が無い」などと感じたようです。
また、庭園そのものの評価ではありませんが「見学が約1時間では(マニアには)全く不十分」「ハズレのガイドに当たった」など、参観の制度や職員への不満が時々あります。
【見学上の注意】
自由に見て廻ることはできず、一日数回行われるガイド付ツアーに参加するしかありません。参観は事前にネットなどで申し込んだ方が便利です。当日早く行って現地で申し込むこともできますが、この場合何時のツアーに参加できるか当日までわからないため数時間(不定)の待ち時間が発生します。
2019年11月訪問。情報は訪問時のものです。
【基本情報】
・施設の性格:離宮
・庭の性格:茶会などの趣味文化活動、饗応接待、スポーツ、鍛錬など多目的に使われた庭。現在も皇室の茶会や国賓の接待に用いられる。
・作庭時期:江戸時代
・施主:八条宮智仁親王、八条宮智忠親王など
・所在地:
〒615-8014 京都府京都市西京区桂御園
・アクセス:
阪急電鉄「桂」より徒歩20分
・公開状況:公開(人数限定、有料)
【外部サイト】
【絵図】
ネットで閲覧できるものをあげておきます。
【古文書】
『桂宮日記』:国書データベースにてウェブ閲覧可能。ただし「出版物及び映像への利用(写真掲載・翻刻など)については、図書寮文庫出納係への申請が必要」とのことです。
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