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並河靖之七宝記念館とシドモアとニシキゴイ

更新日:2023年10月8日

並河靖之七宝記念館 (旧並河靖之邸) の庭の池では数匹のニシキゴイが泳いでいます。かつて並河は庭に面した座敷に大事な客を通し、手ずからコイに餌をやり、時には来客にすすめてコイに餌をやらせました。

このニシキゴイ、明治時代に来日した海外ジャーナリストたちの著作にも登場するのをご存じでしょうか?

今回は海外ジャーナリストの著作から、並河邸の庭とニシキゴイが登場する部分をご紹介します。

並河靖之七宝記念館の庭
並河靖之七宝記念館の庭

【海外の著作に登場する、並河邸のニシキゴイ】

・シドモアの記述

「黄金の鯉」

エリザ・シドモア (1856 - 1928) はアメリカの著述家、地理学者で、後にナショナルジオグラフィック協会の理事ともなりました。ポトマック河畔に桜並木を作ることを提案した人物として日本でも知られています。

シドモアは1884年から1890年の間のどこかで並河邸を訪問していますが、その時の様子を次のように書き残しています。

「主人の導きで奥まった暗いところを通り、両側が庭に面して解放された大きな部屋、さらに小池に張り出したバルコニーへ案内されました。彼が手を叩くと黄金の鯉が水面に浮上し、投げた餅をぱくぱく食べます。この小さな楽園、60フィート四方あるかないかの庭園に丘、藪、島、岬、湾、さらに竹林に隠れた井戸や祠があり、同時に一番奥の生垣の上には、円山の緑の斜面がそびえています」

(出典: 『シドモア日本紀行: 明治の人力車ツアー』 講談社学術文庫 2003)

シドモアは黄金のニシキゴイについて書いていますが、明治時代だと金色に輝くニシキゴイはまだ品種として固定されていなかったはずです。シドモアの見た黄金のコイがどういったものだったのか詳しくは分かっていません。

またここに書かれている「小池に張り出したバルコニー」「竹林に隠れた井戸や祠」などは現在も存在し、庭と建物の骨格が変わっていないことが分かります。


・ポンディングの記述

「黒や斑や金色の大きな鯉」

イギリス人写真家ハーバート・ポンティング (1870 - 1935) は欧米では記録写真家として知られている人物です。1901年から1906年にかけてアメリカの雑誌の特派員として数度日本を訪れ、この間のどこかで並河邸も取材撮影しています。庭について彼はこう書き残しています。

「家は池の上に突き出して建っていたが、この家の主人が縁側に出てくると、池の表面がまるで突風が吹いたように波立った。それは池の方々から黒や斑や金色の大きな鯉が、跳ねたりぶつかったりして水を泡立てながら、文字どおり主人の足の下に急いで集まってきたからであった」

「彼は何枚かの麩を私に渡して、自分で餌をやってみるように勧めた。縁側の上に腹這いになって、水面に手の届くほど身を乗り出してみると、大きな鯉はよく慣れていて、私の手から何の躊躇もなく餌を食うのだった。その中の何匹かの背中を手で撫でてやったが、平気で逃げようともしなかった」

(出典: 『英国人写真家の見た明治日本』 講談社学術文庫 2005)

ポンディングは並河のすすめに従ってコイに餌をやっています。その時カメにも餌をやろうとしていますが、カメが餌に反応しないので不思議がると「あのカメはブロンズですよ(大意)」と笑われました。


ポンティングは黒、金、まだらの3種類のコイがいたと書いていますが、2023年現在もこの3種のコイを見ることができるのはこの記述にのっとったのでしょう。またポンディングの本にあるように、池の中島にはカメの置物があります。

並河靖之七宝記念館のニシキゴイ
並河靖之七宝記念館のニシキゴイ

【ニシキゴイはいつ広まった?】

ニシキゴイは江戸時代後期に新潟県小千谷市で生産が始まりました。

海外ジャーナリストたちが並河邸のニシキゴイを見た明治時代、ニシキゴイはまだブレイク前で、小数が県外に販売されていました。全国知名度が上がったのは1914 年の東京大正博覧会以降とされています。

その後高度経済成長期の1960年代になって、国内ではニシキゴイを飼うことが人気になりました。2000年代に入るとニシキゴイ等観賞魚の輸出が増え、2022年には農林水産省がニシキゴイを輸出の重点品目に指定しています。

参考:


【まとめ】

日本庭園にニシキゴイというのは高度成長期にはお金持ちのテンプレイメージとなりますが、

並河靖之はそれよりずっと前、まだ一部の人しか知らなかったニシキゴイを庭で泳がせていました。

そしてそれが海外ジャーナリストの著作に書かれているのも面白いところです。

並河靖之七宝記念館に行ったら、シドモアやポンディングの著作に並河邸のニシキゴイが登場することも思い出して、当時に思いをはせてはいかがでしょうか。


【基本情報】

施設の性格: 事務所、工房を兼ねた自宅

庭の性格: 住宅の庭

作庭年代: 明治時代

アクセス: オススメの交通手段は地下鉄東西線

地下鉄東西線東山駅から徒歩5分(推奨の交通手段)

駐車場なし

公開状況:公開(有料)

(2023年7月訪問。情報は訪問時のものです)


【learn More】

(並河邸の芳名帳にシドモアの名が書かれている、という情報がありました)


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