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並河靖之七宝記念館と明治という時代

更新日:2023年9月20日

京都東山界隈、大通りから路一本横に入った古い街並みの中に、明治時代の町家が記念館として保存されています。今回紹介する並河靖之七宝記念館です。

【七宝とは?並河靖之とは?】

まずは施設の名前になっている「七宝」と「並河靖之」について説明しましょう。

七宝 (七宝焼) とは主に金属のベースの上にガラス質の釉薬を焼き付けた工芸品です。工業がまだ発達していない明治の日本では七宝焼などの工芸品、美術品も重要な外貨獲得手段でした。

中でも技量に優れ海外人気も高かった七宝作家が並河靖之で、1889年のパリ万博で金賞など国内外の博覧会で合計31回の受賞。「Namikawa」は日本製七宝の代名詞となり、海外のバイヤーが並河邸を直接訪れるようになりました。1880 年から1910 年までの 30年間は七宝の黄金時代とも呼ばれますが、その中心にいたのが並河靖之です。


【並河靖之七宝記念館とその庭】

パリ万博後の1890年から1893年にかけて並河は工房と自宅を整備します。これが現在の並河靖之七宝記念館です (欧米人が来ても不便が無いよう、鴨居が普通の日本家屋より高くなっています)。翌 1894年には庭園も完成。池には七宝の研磨用に工房に引いていた琵琶湖疏水の水を引いています。この琵琶湖疏水は1890年(明治23年)に完成した当時最新のインフラでした。


また、造ったのはお隣さんだった 7 代目小川治兵衛です。小川治兵衛はこの後疏水の水を引いた流水のある庭をいくつも造り明治を代表する造園家となりますが、並河邸の庭園はその始まりといえます。


庭園は主屋の東から南にかけて逆L字型に存在します。Lの縦棒の部分は植栽の間に飛石を打ったもので、主屋から工房などへの通路を兼ねています。横棒の部分に池があり主屋の一部 (8畳の座敷) は池の上にせりだすように建っています。池には2ヵ所に小さな「滝」があって水音を立てています。この水はもともと七宝の研磨用にひいていた水を利用したものです。


【海外ジャーナリストの見た並河邸の庭】

並河邸を訪れた外国人はバイヤーだけではありません。海外のジャーナリストもまた並河邸を訪問しその印象を書き記しました。ここでは日本語訳が出版されて手に取りやすいものを2つ紹介します。どちらも並河という人物とその家、庭について非常に好意的で、読んでいて照れ臭くなるほどです。


・シドモアの見た並河靖之邸の庭

エリザ・シドモア (1856 - 1928) はアメリカの著述家、地理学者で、後にナショナルジオグラフィック協会の理事ともなりました。ポトマック河畔に桜並木を作ることを提案した人物として日本でも知られています。

シドモアは日本に来た際 (1884年から1890年の間のどこか) 知人の勧めに従って並河邸を訪問し、煎茶の接待を受けました。彼女は庭について次のように書き記しています。

「主人の導きで奥まった暗いところを通り、両側が庭に面して解放された大きな部屋、さらに小池に張り出したバルコニーへ案内されました。彼が手を叩くと黄金の鯉が水面に浮上し、投げた餅をぱくぱく食べます。この小さな楽園、60フィート四方あるかないかの庭園に丘、藪、島、岬、湾、さらに竹林に隠れた井戸や祠があり、同時に一番奥の生垣の上には、円山の緑の斜面がそびえています」

『シドモア日本紀行: 明治の人力車ツアー』 (2002 講談社学術文庫) より


1909 年に刊行された写真集『京華林泉帖』で並河邸の庭の解説文に「往年米国発行の書に掲載され其の名欧米諸国に聞こえたり」と書かれているのはシドモアの著作を指すと推測されています。


・ポンディングの見た並河靖之邸の庭

イギリス人写真家ハーバート・ポンティング (1870 - 1935) は記録写真家として欧米で知られている人物で、アメリカの雑誌の特派員として来日し、並河邸も取材撮影しています。庭について彼はこう書き記しました。

「並河氏は部屋に風を入れようと障子を一枚開けた。何気なく外を見て、そこの景色の美しさに、私は驚きの余り言葉もなく、ただ景色をみつめるばかりであった。」

「この庭は確かに造園師が最高の技術を駆使して造り上げたものにちがいない。全体の面積は、奥行き30ヤード足らずで、幅はその半分程度であったが、奥深い広大な地域を暗示するように、水と樹木が巧みに配置され、樹木そのものも、庭の大きさが一見して実際よりずっと大きく見えるように、うまく配列され整えられていた」

『英国人写真家の見た明治日本』 (2005年 講談社学術文庫) より


【まとめ】

その後大正期に入ると七宝の輸出は減少し、並河も1923年に廃業します。

七宝の輸出で得た利益を投入し、琵琶湖疏水の水を引き込み、小川治兵衛が造った並河邸の庭はとても明治的と言えるかもしれません。


【基本情報】

施設の性格: 事務所、工房を兼ねた自宅

庭の性格: 住宅の庭

作庭年代: 明治時代

アクセス: 地下鉄東西線東山駅から徒歩5分

公開状況:公開(有料)

(2023年7月訪問。情報は訪問時のものです)


並河靖之七宝記念館庭園
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ポンディングの著作にも亀の置物とニシキゴイが登場する
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並河靖之七宝記念館のマンホールの蓋?
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庭の片隅にあった社
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