白龍園
更新日:2023年4月21日
[苔の美しい洛北の庭は意外にもアマチュアの手作り]
京都市洛北の山中にある白龍園(はくりゅうえん)は、春と秋に期間限定で公開される、苔の美しい庭。
白龍園があるのは市街地から鞍馬山へ向かういわゆる鞍馬街道沿いの山の中、鞍馬の手前あたり。京都駅からは北へ12㎞、円通寺から3.5kmと、かなり北の方にある。庭に出て歩けるタイプの庭で順路が300mくらい。
【白龍園について】
以下白龍園について、大体入口から奥に向かって説明しよう。ポイントは「段差のある庭」「塀や垣が無い」「白龍神社」
庭園は山中の傾斜地にあるため、4段か5段になっている。京都の市街地から行くと、まず路の左に茶店と駐車場がある。茶店は推定江戸時代末期の古民家?を移築したもの。
駐車場から道路を渡ったところが庭園入口。ここが一番下になる。
下から2段目は南北に細長い。写真は右側が2段目北部。左側に1番下の段が見えている。白龍園には塀や垣がほとんどなく、下の段にある木や園外の山も含めて1つの風景に見える。
下から2段目は南部で3段目につながっている。写真は3段目に上る石段から2段目を見下ろして撮影。背景に見えるのは園外の山。ここでも、塀や垣が無いことが効いている。私が白龍園を訪れた日はたまたま、庭園デザイナーの烏賀陽百合氏がガイドツアーをしている日でもあったのだが、烏賀陽氏も庭に垣が無いことを強調していた。
庭園の紹介によく使われる「苔と砂利と東屋の風景」は下から3段目。このあたりも塀や垣が無く、下の段が見えている。写真で石塔-野点傘ラインより左に見えているのは2段目に生えている木。
3段目の奥(東)には龍神を祀る祠がある。この辺りは谷川で、素朴な山の風景となっている(さっき書いた300mという数字は、この杉林を含んでいる)。庭が造られた経緯からすると、この辺りが原点であり中心。
ここで庭ができるまでの前史を説明しよう。1962年に京都の衣料メーカー「青野株式会社」の創業者、青野正一(あおのしょういち)氏が人に頼み込まれて、荒れ果てていた山を購入したのがそもそもの始まり。この山がかつて信仰の対象であり祭祀が行われていたことを知ると、青野氏は神社の復興を決心した。おそらく信仰心の篤い人だったのだろう。1962年にまずは祠(白龍神社)と鳥居が建てられ、その白龍神社までの景観を作るものとして植栽や景物が整備された。青野氏は最初業者に造園を頼もうとしたが意見が衝突し、結局家族や社員、地元民の力を借りて自分たちで庭を造った。驚くべきことにこの庭はアマチュアが造った庭、庭とは関係なさそうな衣料メーカーが造った庭なのだ。
谷川に沿ってさらに奥に行くと苔むした石段があったが路は閉鎖されていた。
この頃杉林がマイブームだったので、個人的には手前の小綺麗な庭よりも奥の鬱蒼とした山が印象に残っている。この辺りにも塀や垣はなく、どこまでが庭でどこからがただの山かもはっきりしない。その中に朱塗りの太鼓橋が、そこだけはあからさまな人工物として存在感を放っていた。路は通行止めになっていたが、それゆえに却って行ってみたい気がした。
白龍園は京都の庭ではあるが寺でも神社でもなく、歴史もない。だが杉林の神秘的な雰囲気や、高低差のある路や、わざと塀を造らなかった設計は、塀に囲まれた平らな白砂の庭とは全く異なる良さがある。応援したい庭の1つだ。
【基本情報】
・施設、庭の性格:祭祀場であり、個人の趣味の発露であり、現在は企業の迎賓施設でもある
・作庭者:青野正一氏ほか
・公開状況:公開(有料)
【外部サイト】
(庭園デザイナーの烏賀陽百合氏による連載の第8回)
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