旧林求馬邸庭園
更新日:1月2日
[一万石の小藩は激動の幕末にどう反応したか](月1回限定公開)
【林求馬邸について】
多度津の街の中心から直線で4㎞程離れた丘の間、畑と林が広がるのどかな風景の中に、白い塀で囲まれた武家屋敷がやや唐突にある。多度津藩京極家の家老だった林求馬の別邸だ。なぜ街ではなくこの場所に武家屋敷があるのか?それには時代が関係している。
林求馬邸ができたのは1867年。薩英戦争(1863年)や下関砲撃事件(1864年)から数年後で、外国船による海からの砲撃が意識された時代だ。多度津藩本来の藩庁は海辺にあり船からの砲撃に弱い。有事の際の藩主避難所として丘の陰になるこの場所に林求馬邸が造られたとされる。1万石の小藩ながら多度津藩は時勢に敏感で危機感を持っていたらしい。余談だが多度津藩は軍制改革も行い、尊王派として伏見警備などの任務についている。
現在建物は多度津町が所有し、多度津文化財保存会のボランティアが運営している。多度津町指定文化財。蔵は資料館になっていて林家が収集した美術品や林家ゆかりの品が展示されている。その内容は藩主から拝領した備前焼、大塩平八郎の書など…ここで大塩平八郎の名を見るとは思わなかった。
【庭について】
さて庭について。この屋敷は藩主の避難所として造られたものなので、藩主用の座敷から見えるところを特によく作ってある(そのほか建物の間などにも少々植栽と飛び石がある)。座敷前の庭は奥行きが10mくらいでさほど大きくはない。現状は植物がやや雑然としているが、大きなソテツがあるのは目立つ。この点は武家屋敷らしい。ソテツが植えられているあたりは岩山のようでもある。涸れ池があり、池の周囲は小ぶりの石を密に組んでほぼ垂直に立ち上がり、岩山につながっている。ちゃんと手入れしたら、武家らしい豪壮な庭になりそうだ。
【基本情報】
・施設の性格:武家屋敷
・庭の性格:主に貴人を迎える場所を飾る
・作庭時期:江戸時代末期
・アクセス:
JR海岸寺駅から徒歩25分
JR多度津駅からタクシーで11分
善通寺ICから車で15分
駐車場有(東側の空き地)
・公開状況:月1回 第一月曜に公開
【外部サイト】
多度津町 林求馬邸の公開 パンフレットあり
2022年2月訪問
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