龍安寺鏡容池庭園
更新日:2023年2月26日
[方丈庭園とは、寺の一部に過ぎない]
枯山水で有名な龍安寺には池庭もある。庭を造ったのは応仁の乱で有名な細川勝元(1430~1473)とされる。江戸時代にはこの池庭が名所扱いで、当時のガイドブック『都名所図会』にも載っている。
国指定文化財等データベースでは「方丈石庭の環境をなす重要な境域である」と、描かれている。何か付属品みたいに言われているが、考えてみれば、庭とはもともと環境であり、施設の付属品なので間違ってはいない。むしろ石庭が主役扱いなのが特殊なケースなのだ。
【概要】
龍安寺の前庭であって、山門を入ってすぐのところにある。庭の中心になるのは鏡容池(きょうようち)で、東西120m、南北60mと、庭の池としては大きなもの。この池は細川勝元より前の時代、この辺りが徳大寺家の別荘だった平安時代からあるとされる。
池はあまり出入りのない単純な形で島が3つある。素人判断だけど形から見て古そうなもの(平安時代の庭と言われたら信じる)。池の東、南、西には池に沿って路がある。池の北西には塔頭寺院の大珠院がある。
池の北や西の林にはこのように石を配置してある。
南西の岸から見た鏡容池。背景は衣笠山。路と池の間のわずかなスペースにも木を詰め込んであるので撮りにくかった。
池の向こうに見えるのは大珠院という塔頭寺院。
池には3つの島があり古式のもの。写真中央やや右に、一番東の島が写っている。池の周りや島にはサクラの木があり、花の時期にはきれいなのだろう。
【文献等】
『都名所図会』(1780) 巻之六
「此地北は衣笠の山を覆ひ、南は遥に闢て一陽来復より温気めぐる事早し、池の面には水鳥むれ
あつまり、玄冬の眺をなす、是を龍安寺の鴛鴦とて名に高し」
6巻中の第6巻で、タイトルを含めて9行の記事。
『都林泉名勝図会』 (1799)
池庭と石庭の両方の記述がある。
「龍安寺の林泉は封境に名池あり、鏡容池と号す、冬日鴛鴦多く聚りて洛北の眺望世に名高し。池中に三つの島あり、中の島を伏虎といふ、又水分石といふあり、霖雨の時此石上へ水越ぬれば西の方の樋を上て水を落すなり、三笑橋といふは東の方にあり」
「所謂方丈の庭は相阿弥の作にして、洛北名庭の第一とす。庭中に樹木一株もなく、海面の躰相にして、中に奇巌十種ありて島嶼に准へ、真の風流にして他に比類なし、これを世に虎の子渡しといふ」
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