庭園と石
- Masahiko Yano
- 4月12日
- 読了時間: 8分
更新日:4月13日
【はじめに】
造園における石は、庭園の美しさや構成に大きく関わる重要な要素です。今回は日本庭園と石について書かせて下さい。
【何のために石を使うのか】
まずはそもそも石を使うのは何のためか考えてみます。
土留めの材料
水際、段差、急傾斜の場所などに石を使い、土が流出したり崩れたりすることを防ぎます。実用的な石の使い方ですが、美観に凝ることもしばしばあります。


動線の整備
庭園を歩きやすくしたり、動線を導いたりするために石が使われます。具体的には路面の舗装のための石や飛石などです。これも実用的なものですが、見た目に凝ることがあります。


表現、造型の材料として
表現や造型の材料にも使われます。
古典的な庭園では磯や岩山など自然(想像上の場所を含む)の表現に石が使われました。写真の庭園(大徳寺龍源院)では須弥山という想像上の岩山が象徴的に表現されています。

現代庭園ではこのような縛りは無く、様々なものが石によって表現されます。例えば東福寺龍吟庵の庭園で石が表現しているものは、龍の頭、角、体です。

土地とのつながりを表現
地元産の石や自然の岩盤は、その土地とのつながりを表すために意図的に使用していることがあります。
例えば島根県の大根島にある由志園では園内に溶岩が露出していたり、溶岩を景石として利用したりしています。これは由志園の設立動機が「(溶岩の島で産業に乏しかった)大根島に産業を作る」という郷土愛によるものだからです。

香川県にある瀬戸内海歴史民俗資料館では、「土地に根差した建築を造る」という建築コンセプトの一環として、中庭に安山岩の岩盤が露出しています。

石造品の材料
石橋、灯籠、手水鉢などの材料としても石が使われます。
石造物の材料としては、加工しやすと緻密さをある程度兼ね備えた花崗岩が好まれます。加工しやすい凝灰岩や角礫凝灰岩が用いられることもあります。


境界の明示
縁石や関守石など、境界としても石は使われます。
関守石(結界石、止め石とも言う)とはこぶし大の石を縄で結んだもので、飛石の岐路などに置いて「こちらではありませんよ」という標識にするものです。


・その他の実用的な石

【日本の庭園における石の歴史】
ここからは、日本の庭園における石について時代順に解説します。
庭園文化の始まり
日本の庭園文化は、飛鳥時代に朝鮮半島から庭園が伝わったのが始まりとされます。発掘調査によるとこの時期の庭園は百済の庭園に似て長方形の池があり、池の岸は垂直に石を積んでいたようです。
また石神遺跡からは、「石人像」「須弥山」などの石造物が出土しています。内部に空洞があり、表面の小穴から水を出す噴水だったようです。この場所は迎賓館で、石造物は庭の装飾だったと推定されています。
庭園の日本化
当初は朝鮮半島から伝わった庭園は、奈良時代の途中から日本独自の変化をします。
具体的には
池の形が直線的→曲線的
池の岸が垂直の石積み→ゆるい傾斜の州浜
という変化です。
また、池の一部に小規模ながら自然石の石組を造ることもありました。これはこれまで機能的な石の使いかた(土の流出防止など)とは違って見た目のための石だったと思われます。

平安時代に書かれた庭づくりの解説書『作庭記』では、建物の基礎、水辺の護岸、磯の表現など様々な石の使いかたを記しています。池や水の無いところに石を立てることについても述べていますが、これは飛鳥・奈良の庭園には無かったことです。
石を配置する考え方や石を安定させる施工についても字数を費やして語っているので、石に対する関心の高さがうかがえます。
ただし、平安時代から鎌倉時代にかけての庭園では石組の量はまだ多くありません(写真の毛越寺庭園参照)。量は少なくても造り手のセンスが発揮できる場所であるために、石についての記載が多くなったのでしょう。

石組の重要性増加と寓意表現
鎌倉時代の後半から室町時代にかけて石組の量が増加し、庭園の中心となります。

例えば、写真の天龍寺庭園では、建物から見て正面の目立つ場所に、たくさんの石を使った石組があります。これまでの石組が主に自然(磯など)の表現であったのに対し、この時代以降、石組に思想的・教訓的意味を持たせることがしばしば行われるようになりました。
石造物の増加と高密度石組(桃山時代)
桃山時代になると庭園を演出する石造物に、石灯篭やつくばいが加わり、路面のスタイルには飛石が加わります。これらの石造物や飛石は江戸時代前期まで、様々な新規デザインや一点物のデザインが試されました。
また石の主張が最も激しくなったのもこの頃です。この時期は高密度の石組や力を誇示するような巨石の石組が上級武士の間で流行しました。

・江戸時代
江戸時代になると極端な高密度の石組は少なくなり、ほどほどになります。全体的なバランスを重視したと言えるかもしれません。

刈り込んだ植物と石を組み合わせる例がよく見られます。

石橋、石灯篭、州浜などが引き続き使われています。

江戸時代の流行の1つに、中国風の石橋があります。

石組の存在感低下(明治時代~昭和初期)
明治時代になると自然石の石組は人気がなくなります。
石組を築く場合でも石を低くふせて使うなど、石組に主張させない使いかたが主流でした。

一方で土留めなどの実用的な石や、灯篭などの石造物は広く使われています。

現代庭園の石 1930年代~
・彫刻的、造形的石組の増加
石の自然さにこだわらず、割ってエッジを立てた石などを使い、彫刻的な感覚で石を用いる石組が数多くあります。


・技術発展の影響
重機の発展により、巨大な石を据えることが可能になりました。技術がデザインに影響する一例と言えます。

・サステナビリティの考慮
近年は、環境への配慮から、地元産の石や廃材を再利用した石組が注目されています。新しい石を切り出すのではなく、古い石材や既存の構造物の石を使い回すことで、持続可能な庭造りを目指す動きが広がっています。

・地域性の演出と郷土愛の表明
地元産の石を意図的に利用し、地域性を演出したり郷土愛を表明したりする例があります。

【石に特徴のある庭園ピックアップ】
平安時代の様式であるため石の量は少ないのですが、その造形は石組重視派の研究者にも高く評価されています。
・摩訶耶寺庭園 (静岡県)
・瑞泉寺庭園
凝灰岩の岩盤をえぐって穴をあけた特異な形状がインパクト大。
・永保寺庭園
露出した岩盤を利用した14世紀の庭園。
・栖雲寺の庭
山崩れの跡と思われる巨大な転石を利用した庭。
・天龍寺庭園(京都府)
石の量がやや増え、石組に意味を込めるようになった頃の代表的な庭園です。
・願勝寺庭園(徳島県)
天龍寺庭園との類似も指摘される、龍門瀑が特徴の庭です。
・多聞寺庭園(徳島県)
室町時代初期の庭園様式。ここにも枯れ滝「竜門瀑」があります。
・大徳寺大仙院庭園(京都府)
多数の石を使って山、滝などを表現した具象寄りの枯山水で、山水画との類似も指摘されています。
・粉河寺「庭園」(和歌山県)
豪華で手の込んだ土留めといったものです。
・一乗谷朝倉氏庭園
室町末期の石組。土に埋もれていたため状態も良好です。
・桂国寺庭園(徳島県)
露出した岩盤利用した庭園

・常楽寺 「流水岩の庭園」(徳島県)
本堂前に露出した岩盤の様子に面白みを感じて「庭園」と呼んでいるものです。

・二条城二の丸庭園(京都府)
大ぶりの青石を使用した石組が豪快で、当時の美意識を示す好例とされます。

・旧徳島城表御殿庭園(徳島県)
石が極端に密な桃山様式の庭園です。
・阿波国分寺庭園(徳島県)
立体的で力強い石組が特徴です。

・旧芝離宮恩賜庭園(東京都)
「東京にある旧大名庭園」というくくりだと、旧芝離宮恩賜庭園の石組が面白いです。

・月の桂の庭(山口県)
儀式に使われた庭で、石の上に石を置いた独特の形態が特徴です。

・旧益習館庭園(兵庫県)
石切り場跡に造られた庭園。放置されていた石を利用したのか、「石が先にある」という感覚が面白い庭園です。

・清水氏庭園
海岸の岩礁を利用した庭園です。現在は内陸になっています。個人宅のため、通常非公開。特別公開
の可能性はあります。
・宝光寺庭園(香川県)
同じくらいの大きさの石を横に並べた独特な石組があります。

・神宮寺庭園(兵庫県)
板状の石を斜めに立てた独特の石組が特徴です。要事前連絡。
・仙石庭園(広島県)
珍石コレクターの医師が自ら重機を運転して造った、石の展示場のような庭園です。

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