無鄰菴庭園
更新日:2月18日
【前説】
明治の元老山縣有朋が京都東山に造った別荘が無鄰菴(むりんあん)。この名前が気に入っていたのか、山縣は「無鄰菴」という別荘を3度も造っている。ここで紹介するのは3度目の無鄰菴。造園は植治こと小川治兵衛。後に明治を代表する人気作庭家となる7代目小川治兵衛の、メジャーデビュー作と言える。
【無鄰菴の配置】
無鄰菴は東山を基準として全体配置が考えられている。その配置を入り口側から順にみていこう。
敷地の入り口は西側にあり、建物も西側に集まっている。建物の脇を通って庭の西の端に出る。
この辺りから東を見ると、目の前には芝と小川があり、木立の向こうに東山が見える。庭の中心部は芝生に覆われ、微妙な起伏がある。その中を二筋の小川が奥(東)から手前(西)へ向かって流れている。東山から川が流れてきているイメージ。小川の中には小石などがところどころ露出して流れに表情をつけている。護岸などの石は低く伏せられ、芝生に混じった木は極端に低い。
少し東へ進んで木立へ入ると、地面は苔に覆われ、小川は細くなり、水際は護岸石組ではなく草になる。
さらに進むと、庭の一番奥、つまり山側には小さな三段の滝がある。
総合すると、入口(西)から奥(東)へ進むことが、川をさかのぼって山へ入るイメージになっている。
【庭園史的な位置づけ】
山縣の趣味に合わせて造られたこの庭は、結果的に庭の革新、トレンドメーカーとなった。
山縣はこの庭をあくまで自分の趣味に合わせて作らせようとし、役石や役木など庭の決まり事を主張する植治と衝突した。山縣の趣味は「池ではなく川」「苔ではなく芝」「仕立て松ではなく自然風の木」であった。
無鄰菴の庭が評判になると、「ある程度」無鄰菴の影響を受けた庭が造られるようになった。それらの庭は石や木の意味付けにこだわらず、見て美しい庭を目指した。一方で思い切りの悪いところがあり、昔の庭をまねて池を作り、石を立て、松を仕立てるものが多かった。
明治の庭の多くは(洋風庭園は別として)江戸時代を引きずっていた。その中で無鄰菴庭園は突出して清新だった。
【基本情報】
・施設の性格:別荘
・庭の性格:別荘の美観、雰囲気作り。施主の趣味を発揮する
・施主:山縣有朋
・作庭:小川治兵衛(7代目)
・所在地:
京都府京都市左京区南禅寺草川町 31番地 無鄰菴
・アクセス:
京都市営地下鉄東西線 蹴上駅下車徒歩約7分
京都市営バス京都岡崎ループ「南禅寺・疏水記念館・動物園東門前」下車徒歩4分
・公開状況:公開(有料)
【外部サイト】
京都 東山・南禅寺界隈の傑作日本庭園 名勝無鄰菴 (公式サイト)
(作庭者のひ孫で家業を継いだ11代小川治兵衛による解説。広報誌記事の再録)
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