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盤泉荘庭園にバイタリティを感じる

更新日:2023年9月22日

[真似ではなく、内から出てくるものを]

渋いばかりが日本庭園ではない。真似ではなく自分の中から出てくるものを表現するなら、バイタリティある人はバイタリティある庭をつくるべきだろう。今回紹介するのもそんな庭。施主に似合っているかを語る前に、まずは施主についてみておこう。


【盤泉荘と松井兄弟】

愛媛県大洲市にある盤泉荘(ばんせんそう)は大正時代の実業家松井傳三郎・國五郎兄弟の別荘で1926年(大正15年)完成。大洲の景勝地肱川を見下ろす急斜面に、斜面からせり出すように石垣を築き、石垣の上に木造3階建ての主屋と庭園がある。松井兄弟はフィリピンで百貨店「松井商会」(のちに「大阪バザー」)を経営し後に貿易会社も経営した人物。兄弟は1900年(明治33年)にフィリピンに移住し、1904年(明治37年)には別荘の土地を購入しているので、事業が急成長したことがうかがえる。2人はやり手だったのだろう。ちなみに、フィリピン移住時の年齢は傳三郎30歳、國五郎25歳。

土地の購入から盤泉荘完成まで20年以上たっているが、これは傳三郎が亡くなって計画の中断と見直しがあったため。現在の盤泉荘で傳三郎の造った部分は崖に掘り込まれた洋風の一間(未完成)しかない。


【盤泉荘の庭】

さて庭の話。南北に細長い敷地の北部に玄関と前庭があり、敷地南には客間の前にもう一つの庭(中庭)がある。どちらの庭も西の斜面にかかっていて、立体的な庭になっている。傾斜地なので庭はそう広くないが、斜面+大量の青石でゴージャスな印象。また、実業家だからかどうか、現世利益を願う縁起の良いモチーフが散りばめられている。定番の亀石組は複数あるし、砥部焼の鶴、タコ(←多幸のしゃれ)をぶら下げたタヌキや、ライオン像まである。このライオン像は新やなせ焼というこの地方の焼き物で、地元愛も感じられる。日本庭園にライオン像は一般的ではないが、施主の経歴(貿易商・百貨店経営者)や、全体的にゴージャスな雰囲気にはあっている。ちなみに、銀座三越にライオン像が置かれたのが1914年(大正3年)なので、時代も関係しているのかもしれない。


【庭以外】

ここからは庭園以外の話題について。

近代の和風邸宅も好きだよ、という人には主屋の中もおすすめ。南洋材の一枚板(2.5×1.0m)を20枚つないだ客用廊下や、格式の高い一階座敷などが見所。1畳分の大きさがある大正ガラスや、眺望を生かすため柱間が2間になっている窓にも注目。最上階にはバルコニーがある。もちろん眺望のためだが、和風建築としては珍しい。

生活に興味がある人には、横井戸をお勧め。これは別荘裏の岩盤を約50m横にくりぬいたもので、岩盤から染み出す水を別荘の水源とした。「盤泉荘」の名の由来でもある。この横井戸があるために高台に住むことができた。なぜそんな無理をしてまで高台に住みたかったかと言えば(眺望のためもあるが)、実はこの辺りは水害多発地帯だからだ。そういえば2018年の西日本豪雨で、盤泉荘のある柚木地区にも被害が出ていた(案内人の方に言われて思い出した)。

石垣も面白い。大洲産の青石をX字状に積んだ特徴的なもの。X字の石垣は近くの臥龍山荘にも少しあったが、それの大規模版。主屋とともに大洲市の文化財に指定されている。

【基本情報】

・施設の性格:別邸

・庭の性格:玄関前の庭(北側)、客間前の庭(南側)

・作庭時期:近代(大正時代)

・作庭者:不明

・アクセス:

鉄道利用の場合、JR伊予大洲駅下車。駅から2km(タクシーで5分、徒歩なら30分)

自家用車利用の場合、大洲肱南ICをでて1分で観光第2駐車場。そこから徒歩5分で盤泉荘。

ちなみに臥龍山荘からは徒歩5分

・公開状況:公開(有料)

【外部リンク】

動画

盤泉荘~後半~ 徹底解説 絶景バルコニーと盤泉荘の由来となった珍しい横井戸 (肉声解説あり)↓ 盤泉荘~松井家住宅~愛媛県大洲市の新しい観光スポット (解説なし)




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