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臥龍山荘で数寄の世界にふれる

更新日:3月6日

【臥龍山荘について】

​愛媛県大洲市にある臥龍山荘(がりゅうさんそう)は明治時代に建てられた貿易商の別荘で、3つの建物が重要文化財に指定されています。2011年にはミシュラン観光ガイドに1つ星で掲載されました。

​【地形・配置】

肱川を見下ろす崖の上、風光明媚な立地にあります。敷地は急斜面に張り付くような形で南北に細長く、北側(入口側)に臥龍院、南端に不老庵、途中に知止庵という3つの茶屋があり、これらを繋いで露地風の庭園があります。


【建築】

建築は臥龍山荘の重要な見どころです。桂離宮などを参考にした風雅な面と、独創的で実験的な面が見られます。


敷地北部にある主屋 「臥龍院」 (重文) には軒下の丸い窓など桂離宮の影響がみてとれます。当時まだ一般には知られていなかった桂離宮に目を付けたのは誰の発案だったのでしょうか?塗りや金具などの細部には、千家十職と呼ばれる千家御用達の名工たちが関わっています。

臥龍院
臥龍院

敷地の南端、川岸の崖の上にせり出して立つ不老庵 (重文) はもっとも個性的な建物です。内部は天井が網代(竹を編んだもの)で丸い曲面になっています。『水郷の数寄屋 臥龍山荘』によると、これは苫屋舟を模したものです。平成8年の大改修の際、不老庵のある崖の下の川辺に船着き場の跡らしきものが発見されました。

川の中、庭のすぐ目の前に自然の島があり蓬莱島と名付けられています (写真右端の岩)。「臥龍」の名はこの蓬莱山を龍に見立てたものです。

不老庵
不老庵

細長い庭の途中にある知止庵は臥龍山荘で一番常識的な草庵風茶室です。

もとは浴室だったものを茶室に改装しています。

知止庵
知止庵

敷地北端の入り口近くにある「文庫」 (写真左) も重要文化財に指定された建築です。内部は非公開です。この周辺では石垣の積み方も見どころの1つです.

臥龍山荘北部外観
臥龍山荘北部外観
様々な積み方を使い分けた石垣
様々な積み方を使い分けた石垣

【庭園】

庭園は兵庫の庭師植徳が10年がかりで作った露地庭園です。2021年に名勝に指定されました。

飛石は伽藍礎石や石臼など様々なところから集めた石で形も多様。飛石以外の地面は基本的に苔でおおわれ、「ぼたん苔」など珍しい苔もあります。

​愛媛文化双書47『伊予路の庭園』によると、かつては岸から蓬莱島にかずら橋がかかっていた形跡があるといいます。日本庭園にかずら橋は珍しいので、それはそれで面白かったかもしれません。現在臥龍山荘(有料区間)と蓬莱島は直接つながっていませんが、かつては蓬莱島も庭の一部だったようです。


【感想】

臥龍山荘は個性と良い雰囲気を持っています。

西は山の急斜面、東は川で周囲から隔絶して一つの世界を造り、余計なものは見えず、眺望は川の方にだけ開けています。地形を利用しているという意味でもここにしかないものです。

臥龍山荘の建築には華やかさと自由さがあり、趣味の追求という感じがします。


【臥龍山荘を作ったのは誰?】

臥龍山荘を作ったのは現在の大洲市出身の貿易商 河内寅次郎(1853-1909)です。

寅次郎は精油、紙の販売、木蝋製造などを行う商人、河内家に生まれ、26歳で城甲家の婿養子になり、木蝋の製造に従事しました。その後木蝋の輸出も行うようになって貿易会社を作りました。

輸出を行うようになってから、木蝋の確保のために製造業者の組織化に取り組んでいます。このあたりは本芳我家上芳我家にも関係するところですので、興味がある方はそちらもお読みください。


【基本情報】

・施設の性格:景勝地にある別荘 数寄屋

・庭の性格:茶庭、通路

・作庭年代:明治時代

・施主:河内寅次郎

・作庭:植徳(神戸)

・所在地:

795-0012 愛媛県大洲市大洲411−2

・アクセス:

JR大洲駅よりタクシーで約5分 大洲ICより車で約10分、大洲北只ICより車で約5分

・公開状況:公開(有料)

【Lean More】

臥竜山荘(公式サイト)

黒川紀章 『花数寄―伝統的建築美の再考』 1991年 彰国社

愛媛県大洲市 『水郷の数寄屋 臥龍山荘』 2012年 エス・ピー・シー



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