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木蝋資料館 上芳我邸

更新日:2023年10月9日

[内子の中心的旧家がそっくり保存](室内も撮影可)


【上芳我家と上芳我邸について】

上芳我(かみはが)家は内子の旧家の1つ芳我(はが)家の分家の1つで、本家(本芳我家)とともに木蝋製造で栄えた。名字としては芳我なのだが、本家や他の分家と区別するため上芳我家と言い習わしている。

屋敷は内子町の町並み保存地区の一角にあり、通りに面した部分の長さが約60m、奥行きが60mから100mという広い敷地内に住居、蔵、作業場が一体で保存されている。主屋、炊事棟、蔵など10棟が重文指定。本家である本芳我邸と並んで、町並み保存地区でも代表的な屋敷。

ちなみに特殊切手「日本の民家シリーズ」第3集(1998年発行)の絵柄に選ばれている。


【木蝋って何】

ハゼの木の実から採れるワックス状の物質。和ロウソクの原料であるほか、つや出し剤や化粧品、医薬品の原料として幅広く使われた。

内子では江戸時代(享保年間)に生産が始まり、最盛期の明治時代には23軒の木蝋製造業者があり、全国の30%を占める日本一の生産量を誇った。その製品は肱川の水運を利用して全国に出荷され、海外にも輸出された。

当時木蝋を輸出していた貿易商の中に、以前紹介した臥龍山荘の主、河内寅次郎もいる。輸出量が増加していた時期には木蝋が不足したため、寅次郎は製造家の全国組織を作るなどして木蝋の確保に努めた。

その後安価なパラフィンにおされて木蝋の需要は減少し、木蝋産業も衰退した。内子町では大正13年に最後の木蝋製造業者が廃業した。


【庭園】

主屋、炊事場、離れ座敷などに囲まれた中庭。10m×10mくらい。

主屋の座敷に面しているので接客空間を飾る庭でもあり、主屋(店舗)と離れ座敷(生活空間)の間にあるので両者を分けるバッファーゾーンでもある。

離れ座敷に近い側に、母屋の方を向いて祠がある。


【基本情報】

・施設の性格:町家

・庭の性格:座敷に面する、主屋(店舗)と離れ(生活空間)を分ける

・作庭時期:明治時代?

・アクセス:JR内子駅より徒歩20分

・公開状況:公開(有料)















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