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新渓園

更新日:2023年12月23日

倉敷美観地区の大原美術館の横にある小径に入り、ほんの1分ほど歩いたところに和風建築と和風庭園があります。今回紹介する新渓園 (しんけいえん) です。


大原美術館のすぐ裏にあるのですが、川沿いのメインストリートから見えないせいか、倉敷に何度も行った人でも知らないことがあります。


【新渓園について】

新渓園は倉敷の実業家でクラボウの創業者である大原孝四郎が1893年(明治26年)に別荘として造った和風建築とその庭園です。大原家本館の向かいにあったので当初は向邸(むかいてい)とよばれていました。新渓園の名は孝四郎の雅号「新渓」にちなみます。

1922年(⼤正11年)に孝四郎の息子孫三郎から当時の倉敷町に寄贈されました。

建物は56畳の大広間を持つ敬倹堂(けいけんどう)、茶室と和室を備えた游心亭(ゆうしんてい)があります。

敬倹堂の大広間
敬倹堂の大広間

游心亭
游心亭

基本無料で公開されていて、受付があるわけでもなく、普段は自由に敬倹堂に上がってくださいという感じ。ただし貸切の場合は建物に上がることはできません。


【庭について】

庭は敬倹堂の南にあります。敬倹堂は庭に面した側が障子と縁側になっているので、額縁庭園の形で庭を見るのによいです。

敬倹堂から見た庭園
敬倹堂から見た庭園

建物とほぼ平行に細長い池があり、池の周辺は緑が多い自然風の庭です。

新渓園の池
新渓園の池

建物反対側から庭に入り、庭を歩くこともできます。庭は長辺が50mほどのほぼ長方形をしています。

庭園と敬倹堂、游心亭
庭園と敬倹堂、游心亭

庭を作ったのは植冶こと小川治兵衛。山縣有朋の無鄰菴庭園などを手掛けた人気の庭師です。植冶が新渓園に関わった時期は、鈴木博之著『庭師小川治兵衛とその時代』では1916年、尼崎博正著『七代目小川治兵衛 -山紫水明の都にかへさねば-』では1922年とされています。なお、1922年に植冶は大原本邸の庭も手掛けています。



【利用など】

新渓園の建物は有料で借りることができます。飲食を伴う会合も可能だそうです。誰かが敬倹堂を貸切にしていた場合、敬倹堂から庭を見ることはできませんが、庭を歩いてみることはできます。この場合、美術館分館側(庭の南西部)から入ります。



【まとめ】

新渓園は倉敷美観地区、大原美術館の裏にある庭園です。池があり緑が多い庭で、知識不要で憩いの雰囲気を感じることができます。作ったのは小川治兵衛。明治時代を代表する人気作庭家です。

倉敷に行く際は新渓園にも立ち寄ってはいかがでしょうか。


【基本情報】

・所在地:倉敷市中央1-1-20

倉敷美観地区内にあり、大原美術館本館・別館に隣接する。

・施設の性格:近代実業家の別邸

・庭の性格:大広間から見ることも、庭を歩くこともできる

・作庭年代:明治時代

・作庭者:小川治兵衛

・施主:大原孝四郎

・アクセス:

JR倉敷駅から徒歩約15分

・公開状況:公開(無料)


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