庭園と月
更新日:1月28日
【はじめに】
庭園を巡っていると、「月」の名のついた建物や設備を見つけることがあります。庭園と月には何かと縁があったようです。
今回は庭園と月の関係を考えてみます。
【庭園で行う月見の宴】
庭園と庭の縁と言えばまず思いつくのは月見です。
・平安時代から、月光を楽しみながら詩歌を詠む文化がありました。
・枕草子「八月十余日の月明き夜」の段、源氏物語の巻十三に月見の宴の記述があります。
この伝統は江戸時代の庭園にも引き継がれています。
例えば小石川後楽園では、長橋という場所(現存しない)について次のような記録があります。
「月夜には史館の儒士をめさせられ、御酒宴ありて、詩歌の御遊びありしところなり」
(『後楽園紀事』 国書データベース:国文学研究資料館 10枚目のスライド)
「月夜には」という書き方からすると1回限りではなく、法則性が感じられるくらい何度も宴が開かれたのでしょう。
また岡山後楽園にも
「申下刻、御月見のため御茶屋へお越し、暫時御座あそばされ御帰り」
(『日次記』 1689年9月13日)
と、月見の記録があります。
月見の宴で詠まれるものと言えば古来は和歌、漢詩でしたが、江戸時代からは俳句が加わりました。引退後六義園に住んだ柳沢信鴻(柳沢吉保の孫)の日記には、十三夜の月見に俳諧の師匠を招いて句会を行ったことが記されています。(小野佐和子『六義園の庭暮らし』より)。
信鴻の句集『蘇明山荘発句藻』の「秋部」には月を読んだ句があり、中でも興味深いのは月蝕を詠んだ次の句です。
壬寅の秋 良夜 蝕なりければ
名月の 中の 曇や 世界の図 柳沢信鴻
(国書データベース:国文学研究資料館 34枚目のスライド)
月蝕の「曇」に「世界の図」を見ている点に、信鴻の天文知識や宇宙観がうかがわれます。
【月を観賞するための特別な場所や建築】
庭園には月を鑑賞するための場所や建築が設けられることもありました。例えば桂離宮の観月台と月波楼、高台寺の観月台などです。

月をこそ 親しみあかね 思ふこと 言はむばかりの 友と向かひて 智仁親王
今夜見る 月の桂の 紅葉の 色をば知らじ 露もしぐれも 智仁親王
栗林公園にある掬月亭は各種饗宴や休憩のための建築ですが、月見も意識したもの。和紙貼りの内装は月の光を取り入れるためと言われています。

湖上清風来 細雨夜来歇 愛此高樓中 坐掬東山月
(湖上清風来る 細雨夜来りて歇 (や) む 此の高樓中を愛し 坐して東山の月を掬 (すく) う)
栗林二十詠より
【庭園設計における月の意匠】
庭園の配置や設計にも月と関係するものがあります。
具体的には月光を反射する白砂、東向きに視界の開けた建物配置などです。

岡山後楽園や養翠園では主要な建物が園の西部にあり、東向きの視界が良い設計になっています。これは月見のためとも考えられます。
【月にまつわる儀式】
さらに月と深いかかわりのある庭園もあります。
山口県防府市にある「月の桂の庭」です。この庭は毛利家の家老であった桂忠晴が造ったもので、ここでは月待と呼ばれる、月に祈願する行事が行われていました。この行事は現在も桂家によって継承されています。
庭園は通常非公開ですが、例年11月初旬の2日間のみ特別公開されることがあります。
【現代における日本庭園と月】
では、現代における庭園と月との関係はどうでしょうか。
まず、現代庭園においても、月を見るための視点場が設けられることがあります。

また、浜離宮恩賜庭園、岡山後楽園、徳川園などの庭園で観月会や名月の時期に合わせた夜間公開が行われています。
このように、現代においても庭園と月は無縁ではありません。
【まとめ】
日本において、月は古くから庭園と関係がありました。
具体的には月見の宴が行われたこと、月を見るための場所や施設が園内に造られたこと、月を意識して配置や意匠が決められたことなどです。
このように、月は人々の自然観や宇宙観ともかかわりつつ、庭園の利用、意匠、美意識に影響してきたと言えるでしょう。
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