なぜ鶴 亀 松なのか
- Masahiko Yano
- 2 日前
- 読了時間: 4分
【はじめに】
なぜ日本の庭園といえば鶴、亀、松だったのか、考えてみたいと思います。
一般的な説明は、これらが長寿や不変の象徴であり、それゆえに縁起が良いというものです。
この説明に反対というわけではありませんが、物足りないところはあります。
そこも含めて書いてみます。
【なぜ鶴、亀、松だったのか:よくいわれる説明】
まず、一般にいわれる説明をおさらいしましょう。
一般的な説明は、これらが長寿や不変の象徴であり、それゆえに縁起が良いというものです。
まずマツは一年中緑を保つ常緑樹で、四季を通じて葉を落とさないため、日本では古くから「永遠」や「不変」、「長寿」の象徴とされてきました。
「生命体」のような日本庭園 | May 2021 | Highlighting Japan
また鶴亀がめでたいものというイメージは飛鳥時代?に中国から伝わり、遅くとも平安時代には、装飾や歌謡などを通じて上流階級に共有されていたようです。
その例として、平安時代末期(1180年前後)の歌謡集『梁塵秘抄』には蓬莱鶴亀をうたった歌があり、松喰鶴(マツの枝を加えた鶴)という吉祥模様も平安時代から存在します。
もう少し時代が下って鎌倉時代から江戸時代にかけては、蓬莱鏡という縁起物が流行しました。これは裏面に蓬莱鶴亀が描かれた和鏡で、婚礼調度(嫁入り道具)として用いられたものです。
このように松、鶴、亀が縁起の良いものなので庭園に用いられたというのが一般的な説明です。
【なぜマツ、鶴、亀なのか:もう少し考えてみる】
ここで新たな疑問が生じます。なぜ縁起の良さを気にしたのかという疑問です。
現在私たちは、縁起云々はさほどこだわらずに庭を造っています(こだわる人もいますが)。縁起が良いからと鶴亀モチーフを入れることも少なくなりました。
昔は縁起の良さを気にしなければならないような理由があったのでしょうか。
私見ですがいくつかの仮説が考えられます。
(1)接客という側面
(2)狭い社会のローカルルール
それぞれを解説します。
(1)接客という側面
古典庭園は接客を意識して造られました。
これは次のような事例から推測できます。
・天皇の行幸や将軍の御成にあわせて庭園が整備された事例
・庭園で接待が行われた事例
・客間周辺を中心に風景が整えられた事例

大正時代には「今後の庭園は接客本位ではなく家族本位であるべき」という主張も生まれているので、庭園と接客との関係はかつての共通認識だったでしょう。
庭園が接客のためのものであるならば、庭園のデザインやモチーフは世間一般で好まれるもの、なんとなくポジティブなものが多くなるということはもっともに思われます。重要な来客の機嫌を損ねるリスクを冒したくはありませんから。
庭園デザインというのはデザイナーの感性や創造性だけで決まるものではないのです。
(2)狭い社会のローカルルール
かつて庭園を造ることは、限られた特権階級の人にしかできませんでした。そのような人の人数は少なく、入れ替わりもゆっくりです。
このような集団では、その中でしか通じない常識やローカルルールが生じがちです。このことは現代のマニア集団を見れば想像がつくでしょう。
【まとめ】
古典庭園に鶴、亀のモチーフがしばしば現れる理由、マツが好まれた理由を考えてみました。
一般的な説明は、これらが縁起の良いものだからというものです。蓬莱神仙思想が持ち出されることもあります。
この説明が間違っているというのではありませんが、1つ問題が解決すれば新たな疑問が生じるものです。つまり、「なぜ縁起の良さを気にしたのか」という疑問です。
筆者がここで挙げた仮説は思いつきにすぎません。
書き足すことや修正することができればまた書こうと思います。




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