top of page

暁雨館庭園は小林一茶ゆかりの庭

更新日:2023年12月25日

庭について調べているとついでにほかの何かを知ることがよくあります。

例えば愛媛県の庭園を調べている時に、小林一茶 (なんとなく東国のイメージがあった) が四国に来ていたことを知りました。

今回紹介する庭は小林一茶が四国に来た時に立ち寄ったという庄屋屋敷の庭です。庭があるのは愛媛県四国中央市の暁雨館(ぎょううかん)。建物は現存せず現在が郷土資料館が建っていますが、庭は江戸時代のものが保存されています。


暁雨館庭園
暁雨館庭園

【暁雨館の由来】

『伊予路の庭園』(愛媛文化双書 47)によると、ここは江戸時代に山中家という庄屋の家があったところです。山中家は俳人 山中時風 (やまなか じふう1738~1796)が暁雨館と号したことから家も暁雨館と呼ばれるようになりました。

前記のとおり現在屋敷跡には郷土資料館があり、暁雨館の名を受け継いでいます。

郷土資料館「暁雨館」と庭園
郷土資料館「暁雨館」と庭園

【暁雨館と小林一茶】

小林一茶は生涯に何度か伊予を訪れ、暁雨館にも少なくとも2回来ていることが紀行文や俳句からわかります。


1795年、旧暦の1月9日、一茶はこの地を訪れ

梅が香をはるばる尋ね入野哉

の句を残しました(入野[いりの]はこの辺りの地名)。その後一茶は松山の俳人 栗田樗堂を訪ねています。

また別の時にも暁雨館を訪問しましたが、この時は時風に会えなかったそうです(時風の使用人が、みすぼらしい一茶を見て「主人は留守」とうそをついたと伝えられています)。この時一茶は

霧晴てゐる野に曇るあるじ哉

(霧が晴れているのに曇るように、入野の主人ははっきりしないなぁ)

という句を詠んでいます。

【暁雨館庭園について】

現在の暁雨館は一辺50mあまりのほぼ正方形の敷地で南側約半分が庭になっています。庭は枯山水で、2箇所に枯滝石組があります。枯滝の向きから考えると、もともと北にあった屋敷から鑑賞する庭だったようです。現在屋敷は無くなっていますが郷土資料館の縁側から庭を見ることができます。また、庭にはたくさんの飛び石が打たれていて、庭を歩くこともできます。


枯滝石組
枯滝石組

築山の裏 (建物から遠い側) の飛石
築山の裏 (建物から遠い側) の飛石

現状はかなり木が茂っていて、植栽主体の庭のようにも見えます。さきに書いた枯滝も木の陰の暗いところにあります。

木の様子は往時とは変わっているはずですが、何本かの古木は時風のころからあったものかもしれません。その古木の1つ五葉松は変わった樹形で非常に目を引きます。これは上に伸びる幹が折れるか枯れるかした後、横に伸びていた大枝をメインにしたものです。


暁雨館庭園の五葉松
暁雨館庭園の五葉松


施設前にあった平面図
施設前にあった平面図


​​【基本情報】

・施設の性格:庄屋屋敷(のちに文化施設)

・所在地:愛媛県四国中央市土居町入野178番地1

・アクセス:

​せとうちバス西土井停留所から徒歩2分 (バスは1時間に1便くらい。2021年5月情報)

松山自動車道土井ICから10分

駐車場は隣接する土居庁舎駐車場を利用

・公開状況:

通年公開(無料)

定休日:月曜日、祝日の翌日、年末年始

​​【外部サイト】

暁雨館|いよ観ネット(愛媛県公式観光サイト)



Comments


bottom of page