慈照寺庭園
更新日:5月18日
【慈照寺について】
銀閣寺として有名な慈照寺(じしょうじ)は臨済宗相国寺派の禅寺。もともとは室町幕府8代将軍足利義政の山荘だったが、義政の死後寺院となりました。銀閣(観音殿[かんのんでん])と東求堂(とうぐどう)の2つの建物は義政時代のもので国宝です。庭は特別名勝に指定されています。
【地形と配置】
西芳寺や鹿苑寺と同様二段の構成になっています。上の段にはあまり平地が無いので、「下の段プラス山」と言ってもよいかもしれません。
まず下の段から説明しましょう。
本堂である方丈の南には銀沙灘 (ぎんしゃだん) という白砂の段があります。写真中央が銀沙灘、向かって右の建物が本堂、奥の建物は宝処関 (ほうしょかく) という貴人用の玄関です。
銀沙灘の南東に、他の建物とは少し離れてあるのが銀閣こと観音殿です。写真左にある台形の向月台 (こうげつだい) は白砂を盛り上げたものですが、江戸時代の図にはもっと低い形、たとえていうなら丸い土俵くらいの感じで描かれています。この向月台は次第に高くなり、文化遺産オンラインによれば「明治20年代に現況に定まった」とのことです。
銀沙灘の南に銀沙灘を囲むようにL字形の池(東西約50m)があります。写真は池の北東部。少しだけ写っている建物は (多分) 東求堂 (とうぐどう) です。この東求堂にある同仁斎 (どうじんさい)という書斎が、後の書院造の原型と言われます。
以上が下の段にある主なものです。
上の段の説明に移ります。
池の東、東求堂近くから山に入り、山を歩くルートがあります。
途中に石組の跡があります。1931年に発掘されたものです。この辺りが上段の庭の中心でしょうか。
さらに上ると展望所があり、建物群や銀沙灘を見下ろすことができます。
後は路なりに歩けば池の南に降りてきます。
以上が上の段となります。
【個人的見どころ】
路に関心があるものとしては、門までのアプローチと山の石段が気になります。どちらも写真を失敗しているのは残念。
アプローチはいわゆる銀閣寺垣のある所です。総門を入って5mほどで右に曲がり、50mほど直進しします。左に曲がると中門と受付があります。
視界が前方に限定されているので意識も前方に向く一方、折れ曲がりのため目標となるもの (中門) は見えません。
【基本情報】
・施設の性格:別邸、のち仏教寺院
・作庭年代:室町時代、ただし江戸時代に改修あり
室町時代の面影はかなり失われているといわれます。銀沙灘、向月台が現在のような姿になったのは江戸時代という説が有力です
・施主:足利義政ほか
・所在地:
〒606-8402 京都府京都市左京区銀閣寺町2
・アクセス:市バス「銀閣寺前」下車徒歩5分
・公開状況:公開(有料)
【外部リンク】
銀閣寺|臨済宗相国寺派 (公式サイト)
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