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慶沢園

更新日:3月10日

【慶沢園について】

慶沢園(けいたくえん)は大阪府天王寺区、天王寺公園内にある日本庭園。もとは住友家本邸の庭として1918年に完成。設計は木津聿斎、作庭は小川治兵衛。1925年に住友家は本邸を神戸に移し、その際大阪本邸の敷地と慶沢園を寄贈した。建物の敷地(慶沢園に隣接)には現在大阪市立美術館が建っている。


慶沢園とあべのハルカス
慶沢園とあべのハルカス
亭舎から見た庭園
亭舎から見た庭園


慶沢園
慶沢園

【慶沢園の配置】

慶沢園平面図
慶沢園平面図

慶沢園は一つの大きな池を中心とした庭園で、北、東、南に起伏があり、北東には滝があり、西側は平地になっている。この平地でパーティーなどをしたのかもしれない。園路は大まかには池を一周する路だが、細かい分岐があり、山の中を通る路もある。


庭の西側、現在美術館になっているところにかつては住友家の本宅があった。というよりも本宅の東に庭があった。


【小川治兵衛と大名庭園】

小川治兵衛は住友春翠に連れられて1911年に兼六園を、1912年に岡山後楽園を見学している。そう思って見ると慶沢園には部分的にこれらの庭園に似た所がある。徽軫(ことじ)灯篭は兼六園を連想させるし、「く」の字に曲がった石橋は岡山後楽園にもある。


解説書では江戸時代の庭園と明治時代の庭園の違いが強調されがちだが、明治期の庭園を訪問してみると江戸時代の庭園を真似ていることも多い。そのあたりは施主によるので、山縣有朋は自分の流儀で庭を造りたかったし、住友春翠は昔の流儀から離れたくなかったのだろう。


​なお、小川治兵衛自身は慶沢園についてこう語っている。

「今度住友さんが茶臼山に別荘をこしらえられるのでございますが(中略)あれができれば関西第一で、岡山公園などとても及びますまい」

(黒田天外著『続々 江湖快心録』より。白幡洋三郎著『大名庭園 江戸の饗宴』を通じて孫引き。引用部の「岡山公園」とは岡山後楽園のこと)



(2021年再訪)

以前の写真があまりにもひどかったので、大阪に行くついでに撮り直し。


【基本情報】

・施設の性格:住友家本邸

・施主:住友吉左衛門

・作庭時期:明治時代

・作庭家:7代目小川治兵衛

・公開状況:公開(有料)

【外部サイト】

慶沢園|OSAKA-INFO (大阪観光局公式サイト)

大阪市:慶沢園 (大阪市公式サイト)



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