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兼六園は山歩きの感じがある

更新日:3月6日

兼六園は金沢城の隣、舌状台地の先端近くにあり、台地の斜面と台地上の平らな土地にまたがる広い庭園。まずはこのような庭園となった経緯を見てみよう


​【兼六園の歴史】

兼六園の歴史を簡単にまとめると、まず17世紀に台地の斜面下(現在の瓢池のあたり)に庭が造られ、19世紀前半にそれとは別に台地上に庭が造られ、さらに下って幕末ごろ、両者が統合されて現在の兼六園に近い形となった。


もう少し詳しく書くと、まず1676年、加賀藩5代藩主の前田綱紀が台地の斜面下(城に近いところ)に別荘を建て、周囲を庭園化したのが兼六園の始まりとされる。この庭では来藩した使節の接待やs重臣たちとの親睦会、観月や観楓の宴がおこなわれた。

一方台地上の平らな土地(千歳台という)は時代によって武家屋敷であったり藩校であったりしたのだが、1822年、「竹澤御殿」と呼ばれる巨大な御殿が建てられ、御殿の庭が造られた。一応これが千歳台の庭園化の始まり。ただしこの時造られたのは七福神山などごく一部。千歳台の本格的庭園化は竹澤御殿の解体が始まってから。竹澤御殿の解体は早くも1824年に始まり、解体が進むのと並行して庭園の整備が進んだ。具体的には霞が池の造営と拡大、栄螺山の造営、霞が池に注ぐ小川の流路変更など。この時代には台地上の庭を「竹沢御庭」、台地下の庭を「蓮池御庭」とと呼び分けていたようだ。

そして江戸時代も終わりに近い1860年、竹沢御庭と蓮池御庭が統合されて、現在の兼六園に近い形になった。だがあくまで「近い形」であり、台地上には畑などもあった。現在の姿になるまでにはそこからまた少し紆余曲折があるのだが、それは割愛させていただく。


【歩く】

公式サイトにあるモデルコース(堪能コース)は約1.4km。高低差は15m以上。自然の高低差があり、広い範囲が坂 (北向き) になっている。こういった点が、山歩き的な感覚を好む人から高評価を受けている気がする(兼六園には高木も多い)。

【立地と自然地形の利用】

個人的には立地と自然地形の利用が面白い庭園だと思っている。

すでに書いたように兼六園は台地の斜面から台地上の平地にかけて造られている。


斜面下の瓢池周辺は薄暗く、台地上の霞が池周辺は明るく開けた印象となっている。

瓢池
瓢池

 霞が池
霞が池 (金沢市観光協会提供)

水平距離は近いが、高低差で隔てられているため、2つの雰囲気が混じって半端になることはない。


また、瓢池の滝や少し離れたところにある重力式噴水も、高低差を利用したものだ。

重力式噴水
重力式噴水

【人工の山】

自然の高低差にくわえて、兼六園には人工の山が2つある。山崎山、栄螺山といい、どちらも高さ約8mの山だ。

山崎山
山崎山
山崎山
山崎山
栄螺山
栄螺山

【評価と評判】

有名な庭園であり、特別名勝であり、人気の観光地(2019年度来園者数259万人)である。

・国指定文化財等データベースの解説文には「(前略)8km遠方から辰巳用水を引いて池に水を導き、瀑布や曲水、噴泉など多彩な水景を造りだした」とある。

・日本庭園研究の大御所の一人である重森三玲(1896 - 1975)は兼六園をあまり評価していないのだが、古木や名木があることは少しだけ評価している。

・アメリカで発行されている日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」のランキングでは、兼六園全体ではなく「兼六園時雨亭」として20位代から30位代にランクされることが多かった(2019年のランキングでは50位以内に入っていない)。


・兼六園に好意的な口コミは、自然美(植物)や季節感のことを書いている傾向がある。

・高低差や傾斜について(好意的に)触れているのは、山歩き的な趣が好きな人だろうか。

​・マニア、特に石組好きのマニアからは軽んじられる傾向がある。







【基本情報】

・施設の性格:城の外郭

・庭の性格:饗宴、遊興を中心とした多目的の庭

・作庭年代:江戸時代

・施主:前田家歴代当主

・所在地:

〒920-0936 石川県金沢市兼六町1

・アクセス:

​JR金沢駅からバスで20分

【外部サイト】

【Learn More】

兼六園の歴史について、公式の解説については

でどうぞ。

現在の地図との対照など、マニアックな解説については

兼六園を描いた古地図としては

竹沢御殿御引移前総囲絵図(竹沢御殿建設当時)

竹沢御殿・兼六園并御鎮守古絵図(竹沢御殿の縮小途上

竹澤御屋敷総絵図(竹沢御殿がほぼ解体された時期)

兼六園図(庭の統合後)

があります。



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