六義園の山
更新日:6 日前
住み侘びし 都はなれて 山里に 身をのがるべき 木隠れの屋戸 柳沢信鴻
【前説】
六義園 (りくぎえん) は徳川綱吉の側近として有名な柳沢吉保 (やなぎさわよしやす) が築いた庭園で、藤代峠からの眺望が有名です。また園内名所が和歌にちなんでいることや、六義園という名前が和歌の六種 (むくさ:詩の6種類の分類) にちなんでいることも知られています。
冒頭の歌は、吉保の孫の信鴻 (のぶとき) が引退後に六義園に移り住んでまもなく詠んだもの。信鴻は六義園のことをたびたび山里と表現しています。またそれ以前に柳沢吉保の側室も六義園を「駒込の山里」と呼んでいます。どうやら当事者は六義園を「山里」と認識していたようです。
この記事では六義園の「山」に注目していきます。
【六義園の「山」要素に注目】
ここから六義園の「山」の解説です。
・六義園は「山」にも力を入れている
まず六義園は「山」にも力を入れていることを見ていきましょう。
平面図を見ると、池のまわりにいくつもの山があります。山部分の面積も広く、山の形や路の線も複雑です。山にも力を入れていると言えるでしょう。
いくつもある山のうち、最大のものが藤代峠です。周囲と比べて約10m高く、庭園にある人工の山としては大きなものです。この大きさからも、「山」に力を入れていることがわかります。
ちなみに藤代峠には登ることができます。六義園の紹介によく使われている写真は藤代峠から撮影したものです。
・六義園では山の風情をこのように表現する
では次に山の風景、雰囲気がどう表現されているか見てみましょう。
次の写真は時雨岡 (しぐれおか)の麓です。奥の建物は吹上茶屋。
次の写真は藤代峠に上る路ですが、傾斜が急なこと、路が曲がっていること、視界が悪いことなどがわかります。
また藤代峠の北(池から遠い側)には「蛛 (ささかに) の路」という名の、園内名所になっている路があります。この路も細く、視界が悪く、下生えのササが通路にはみ出しています。
こうしてみると当時の人は視界の悪さ、見え隠れ、細い路、下生えなどに「山」を感じたのではないかと思われます。
・六義園で暮らす人は山を利用していた
六義園の山は見るだけのものではありませんでした。
小野佐和子著『六義園の暮らし』によると、柳沢信鴻の日記には
・近所で騒ぎがあった時、園内の山に登って様子を見た
・家臣や使用人が山を駆け降りる駆けっこをし、信鴻が見物した
・園内の山で山菜を採った
などの記録があります。
【結び】
以上のように、六義園を造った柳沢家の人々はここを山里と認識し、山の景色を造ることに力を入れてきました。
六義園を訪れる際は、池のまわりを歩くだけでなく、わざと山に入ってみるとまた違うものが見えるかもしれません。
【基本情報】
施設の性格: 旧大名家の別邸、現在都市公園
庭の性格: (作庭当時)上流階級の社交や遊びの庭、(現在)都市公園
作庭年代: 江戸時代
アクセス: JR山手線「駒込」駅より 徒歩7分
※駐車場はありません
公開状況:公開 (有料)
※共通券、年間パスポートあり
施設、設備:トイレ、売店、貸し茶室(予約制)
サービス:ボランティアガイド
(2023年10月訪問。情報は訪問時のものです)
【Learn More】
六義園 - 公園へ行こう! (管理団体公式)
六義園之図 狩野常信 画 国立国会図書館デジタルコレクション
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