栗林公園で路の技法を学ぶ
更新日:5月7日
歩く庭には歩く庭の演出と技法があります。それは見るだけの庭とは楽しみ方も方向性も違うからです。庭に使われている技法を見れば、庭の楽しみ方や庭の設計思想を考えるヒントになるかもしれません。
というわけで栗林公園を例に、歩く庭の技法、特に路の技法を見ていきたいと思います。
東門から入って、門から奥へと進むルートに沿って解説しましょう。
【早くから見せないための工夫】
まず東門を入って間もないところ、北湖の北をみてみましょう。直線の通路の左に低い人工の山があります。特に見どころではなさそうな山ですが、どういう意味でここにあるのでしょうか
1740年に書かれた『栗林荘記』によると、東門から入った客はここを通って掬月亭に進んだようです(そのようなルートで園内が紹介されています)。ここは入ってすぐのところなので、早くから池の全貌を見せないように山で隠していたのでしょう。『栗林図』などの古図によると、かつてはこのあたりに中門があり門前に何かの建物(待合?受付?)がありました。中門前で待つ人に池が見えないように隠していたのではないでしょうか
このように早くから全貌を(特に池を)見せない工夫は江戸時代前期に造られた他の庭園にもありました。桂離宮庭園の待合前にあるソテツ山や浜離宮恩賜庭園の大泉水北側の人工の山も、池を隠しているといわれています
【演出】
少しだけ進んで、「中門」 (現在はありませんが) の内側に入りましょう
古図を見ると、ここに板状のものが描かれていて(現在はありません)、別の図では「シトミ」という文字が書かれています。蔀 (しとみ) というのは木の枠に木の薄板を貼ったパネル状のものです。このようなパネルが左やや手前に1枚、右やや奥に1枚、通路を半分塞ぐような形で描かれています。
その意図は想像するしかありませんが、ここから先は別世界という演出だったのかもしれません
【クランク】
中門のあった辺りを過ぎると、路はクランク状になっています。1枚目の写真で人がいる辺りがクランクです。このクランクも先を見せないためでしょう。
古図を見るとこの辺りの路がまっすぐなものとクランク状のものがあります。江戸時代のどこかでわざわざクランク状に改修したものと思われます。
【奥へと誘う路】
クランクを抜けると直線の路があり、両側はマツ(いわゆる箱松・屏風松)でかこまれています。このように直線の路を立木で囲うと、歩く人の意識と視線を奥に向け、奥に誘う効果があります
ただし直線の路が続くと先まで見えすぎて単調です。そこで先ほどのクランクのように路を折り曲げて先を見せない工夫を併用しています
【見せないための技術】
しばらく折れ線上の路が続きますが、一度に多くを見せすぎないように路を折り曲げる以外の方法も併用しています。例えば北湖西側の直線園路では、朱塗りの橋(梅林橋)のあるあたりがやや高くなっていて、橋の向こうが少し見えにくくなっています
【路の屈曲と見え隠れ】
途中を省略して南湖まで話をすすめましょう
南湖を巡る路は細かく左右に曲がっています。そのため路を進むにつれて目に入る風景が変わってきます。路は時々池から離れるように曲がり(下の写真参照)、池との間に築山(人工の山)が来て池を隠します。このように池が隠れる場所が南湖周りの路には5、6カ所もあります
江戸時代に書かれた『栗林荘記』にも「径みな紆曲し、湖面隠見常ならず」と書かれているので、路の屈曲と見え隠れは当時から意識されていたことがわかります
【わざとの歩きにくさ】
園の南東部、水源(吹上)からの流れが南湖に注ぐ辺りに飛石の通路があります。飛石を渡る時は自然と下を見るので、地下から出たばかりの澄んだ流水が自然と目に留まります
【そしてハイライトへ】
その後順路に従うと飛来峰に登ります。石段は幅と高さがばらばらで歩きにくく、登る時は下を向きがちになります
そして頂上について目を上げるとこの景色です
石段が歩きにくかったのは一旦下を向かせることで頂上からの景色を印象的にする演出だといわれています
【まとめ】
以上のように、歩く庭には歩く庭の演出と技法があり、歩く庭ならではの面白さがあります
他の庭園の例については
も参照してください
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