庭園 仮設の飾りと演出
【前説: 庭は「庭自体」を見るものか】
現在、一部のマニアや研究者の間には、庭はそれ自体を鑑賞するもの、特に石組や配置など「永続するもの」に注目して鑑賞すべき、という庭園観があります。
しかし歴史的にみると、庭を所有し管理する当事者たちは、様々な飾りつけや演出を行ってきました。本記事ではそのようなかりそめの要素について解説します。
【仮設の飾りと演出: 文献から】
本チャプターでは、古い庭園で見られた仮設の飾りと演出について、文献を利用して紹介します。
・『栄花物語』より法成寺の庭
栄花物語は藤原道長の栄華を描いた物語風歴史書。描写が詳細で、当時の貴族の生活、価値観、美意識をうかがい知ることができる重要な資料です。
巻17を見ると「浄土式庭園」で法事を行った様子が分かります。
具体的には
・池のまわりの植木には枝ごとに羅網(網状の装飾)をかけた
・七宝で花を造り、仏像も七宝で飾った
などです。くわえて、香を焚いた、鐘を鳴らした、金の鈴が鳴った、など視覚以外に訴える演出も描写されています。
また、巻19には別の日の仏事の様子として
・池のまわりに七宝の木を造った
・木に金銀の網をかけた
・孔雀、鸚鵡(おうむ)、迦陵頻(かりょうびん)などの形を造って火をともした
とあります。
現在浄土式庭園と呼ばれているものを見ると、建物と池しか無くて物が少ないように見えます。「これが本当に浄土のイメージなのか?」と疑問に感じていましたが、飾りつけや演出も含めて浄土が完成すると考えれば納得がいきます。
・『徳川実紀』より蒲生忠郷の屋敷
仮設の飾りつけや演出は平安時代だけのものではありません。
時間が飛んで江戸時代には、1624年、 徳川家光が蒲生忠郷の屋敷を訪問した際の様子が次のように書かれています。
「山路には樵径をつくり、鹿の足跡などありて、その幽邃(ゆうすい)のさま、深山のごとし。深林の下にかりの茶店をかまえ、杉皮をもて葺き、竹を柱とし、獅子香炉に時鳥の初音という名香をたきしめたり」
尾張藩下屋敷 小田原の宿
1672年、尾張藩下屋敷、いわゆる戸山荘の庭に、小田原の宿場のレプリカが原寸大で造られた
1687年 8月『无上法院殿御日記』
には
・庭の桜の木に造花をつけた
・茶屋に「うつくしきもてあそびもの」を飾った
・老人の人形を作り、茶屋の主人のように配置した
という記述があります。
1688年
『无上法院殿御日記』貞享5年 3月23日条にも
・「茶たつる人形のつくり物あり」
と書かれています。
1688年
『无上法院殿御日記』元禄元年 10月 14B条
・池の中島に塩屋(塩を作るための小屋)を再現した
という記述があります。その様子は
・塩釜に煙を立てている
・磯に貝を散らし、網を干している
・わかめ、青のりなど、海辺らしいものをそろえている
とありますから、小道具をたくさん使って凝ったものを作ったようです。煙を立てているということですから、モノだけでなく人の活動を再現する演出だったことが分かります。
このように江戸時代にも、人は演出や飾りつけを含めて庭園を楽しんでいました。
【Learn More】
多々良美香ほか「『浄土庭園』の空間構成に関する考察 」1997
町田香 「宮廷庭園における演劇的遊興について」2008
町田香 「仮設的要素にみる日本庭園の多様性」 2009
小寺武久 (1989) 『尾張藩下屋敷の謎』中央公論社
【庭園と仮設の/一時的な要素:ギャラリー】
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