庭と○○:庭園と利水、治水
【前説】
水を使う庭園であれば、水の確保が重要です。
今回の記事では庭園と水利用について興味深い事例を紹介します。また、利水とは関係の深い治水についても少しだけ紹介します。
【事例で見る古典庭園と利水、治水】
・平等院庭園
平等院庭園の水源について考えてみましょう。
平等院公式サイトのコラムによると、水源は湧水です。ストリートビューでみるとこの辺り。
池の岸がここだけ石垣になっていてかなり異質です。1950年代までは石垣の隙間からかなりの湧水が確認できそうですが、現在では湧水を視認することはできません。その理由としては、上流の開発によってここに涌く湧く水量が減ったことが考えられます。
平等院庭園に限らず、古い庭園には湧水が水源だったと思われるものが高い割合であります。
これらの庭園は湧水が得やすい山裾などに造られました。
・龍安寺庭園鏡容池
庭園の池は元ため池だったり、ため池を兼ねていたりすることもあります。
例えば龍安寺にある鏡容池はかつては灌漑用のため池だったとされます。池の南東部にある2つの石は水分石(みくまりいし)。水位を測るメジャーだったようです。
堤を築いてため池を造ったり、溝を掘って水をひいたりすることは、もともと農業用水のために始まったのでしょう。その技術を応用したり池を転用したりして、庭の池が造られたのでしょう。
・桂離宮
桂離宮は桂川に隣接する低地にあります。現在では庭園の池と桂川は分かれていますが、池と川がつながって描かれている古図もあるそうです。庭の池から船で川に出られると同時に、川が水源になっているということでしょう。ただし水害のリスクはあります。
離宮と桂川の位置関係をストリートビューでも確認してみましょう。
下のビューで右が桂川、左が桂離宮です。離宮が川のすぐ近くにあることが分かります。生垣が見えますが、これが一部で有名な桂垣。葉のついた竹を編んだもので、洪水の時に水の勢いを弱めるものだとか。どれくらいの効果があったのでしょうか。
垣や木立で水の勢いをそいだとしても、浸水による被害は免れません。そのため桂離宮では、建物を高床式にするなどして被害の軽減に努めています。
水が得やすい低地に庭を造ればそれだけ水害のリスクもあり、対策が必要だということでしょう。
・岡山県後楽園
岡山後楽園のケースを見てみましょう。
岡山後楽園も川の傍(中州)にありますが、桂離宮の場合とは異なり、庭園は川よりも数メートル高い所にあります。水を得るには何らかの工夫が必要です。
江戸時代に後楽園が造られた際には、4㎞上流から水路で水をひき、川底に導水管を埋設して、中州にある庭園に水を送っています。この技術は「伏せ越し」(ふせこし、ふせごし)と呼ばれ、当時最先端の水道技術でした。
・兼六園
兼六園も川から水路で水を引いた庭園です。
兼六園の水源は辰巳用水。金沢城や城下町の防火用水として1632年に完成した用水で、国の史跡、土木学会が選ぶ土木遺産にも指定されています。
また、兼六園の園内には噴水があります。
1861年に造られたこの噴水はポンプ等を使わず、高低差による水圧だけで噴き上がっています。この噴水もまた、当時の水利用技術を示すものです。
・栗林公園
栗林公園の誕生は治水と関係があります。
この場所は元々川だったのですが、治水のため江戸時代初期に川が付け替えられました。その結果、河原だった土地が利用可能になり、造られたのが栗林荘、後の栗林公園です。
・無鄰菴庭園
無鄰菴庭園の水源は1890年に完成した琵琶湖疏水。琵琶湖の湖水を滋賀県大津市で取水し京都へ送っている用水路です。
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