磐座は日本庭園の源流なのか
更新日:2023年12月12日
「磐座は日本庭園の源流だ」と、一般向きの解説本には時々書かれています。
重森三玲 ・完途氏のように、磐座を日本庭園の源流だと主張する研究者もいます。
ですがこれはどれくらい文字通りに受け取ってよいものでしょうか。
私が思うに、「磐座=日本庭園の源流」という考えには2つ(考え方によっては1つ)の問題があります。
第1に、磐座が平安以前の庭とはあまり似ていないで、むしろ室町時代くらいの庭と似ていることです。平安時代の庭は池があって州浜があって儀式などのスペースがあるような庭で、石は少ししかありません。それより前、奈良時代の庭も発掘調査によるとこれに近いものです。さらにさかのぼって飛鳥時代の庭園は、どうやら大陸から伝わった様式そのままで四角い池があったり加工石の造形物があったりしたと考えられています。どれも磐座(自然石そのもの)とは似ていません。
第2に、石以外の要素はどうなったのか、という問題があります。庭園には池、島、建物、植栽など石以外に様々な要素があるが、磐座には石しかありません。石以外の要素は磐座以外から来たはずです。庭に池を造ることは神池や溜め池からつながるのかもしれませんし、庭に木を植えることは(縄文時代辺りに)役に立つ木を取ってきて家の近くに植えたこととつながるのかもしれません。そういったことに触れないで石「だけ」に注目し磐座「だけ」を日本庭園の源流というのは疑問に思います。
【結論】
「磐座は日本庭園の源流だ」という主張をそのまま信じるわけにはいきません。
庭園には様々な要素があり、空間的にもある程度の広がりがあります。磐座は庭園のうち石組という局所的要素と似ているに過ぎませんし、空間的広がりもありません。
それでも部分的な類似を取り上げて「磐座は日本庭園の源流だ」と主張するなら、同じく部分的な類似を取り上げればため池も神池も、田畑も農業用水も、集会のための広場も庭園の源流だと言えるでしょう。
「磐座は日本庭園の源流だ」という主張はその程度のものだと思います。
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