今は無き浴恩園を図から考える
更新日:10月4日
【前説】
江戸時代、江戸には数多くの大名庭園が存在しましたが、現存するものはわずかです。
今回は、失われた大名庭園の1つ「浴恩園」を、古図を参照しながら紹介したいと思います。
【浴恩園とは】
初めに、浴恩園について簡単に紹介します。
浴恩園は、寛政の改革で知られる老中、松平定信が下屋敷に築いた庭園で、後の築地卸売市場の中央あたりにありました。「春風の池」「秋風の池」という大きな2つの池に海水を引き込んだ汐入の庭です。
1829年に起きた江戸の大火災で大きな被害を受けて池だけが残り、その後1935年に築地の卸売市場ができる際に池も埋められたようです。
現在、跡地は東京都指定史跡に指定されています。
【古図に見る浴恩園】
ここからは「江戸浴恩園全圖」「浴恩園真景」をもとに、浴恩園を紹介します。
[概要]
浴恩園は2つの大きな池がある回遊式庭園です。
「江戸浴恩園全圖」を見ると、画面右下に住居などの建物群があり、建物群と池との間には広場状の場所があって、弓の的や盆栽の棚などが置かれています。
画面左下には花や名木、薬用植物など集められた植物園のようなエリアが描かれています。花によっては品種も豊富です。また、果樹園もあります。
画面中部から上部にかけては「春風池」「秋風池」という2つの大きな池があります。池の周囲を回る路と中島に渡る路があるようです。
園内には多くの建物や園内名所があり、鮮やかな色彩とあわせて、浴恩園が華やかで楽しい庭園だったことを思わせます。
[個人的注目点]
ここからは個人的なポイントを紹介します。
(1)多数の建物
図を見て感じることの1つは、建物が多いこと。住居と倉庫を除いても、名前のついた建物が20以上はあります。
具体的には
・「一社」「雷風水三神」「六社明神」「松辺の社」などの社やお堂
・春風館など、比較的大きめの休憩所
・秋風亭、四時亭、花月亭、枕流亭などのあずまや
などです。
(2)路系の園内名所
浴恩園には名前の付いた園内名所が多数ありましたが、個人的に注目したいのは名前の付いた路です。具体的には「花の下道」「もみぢの下道」「みそぎ坂」「千代の細道」「竹の細道」の5つ。
ここに注目するのは、回遊式庭園が見るだけのものではなく、歩くという体験を楽しむものだと言いたいからです。
例えば「花の下道」「もみぢの下道」は、名前からすると路の上まで枝が伸びていて、花や紅葉のトンネルになっていたのでしょう。そこを通り抜けることが面白かったのだと思います。
(3)活動
古図には弓の的、舞台、船着き場などが描かれていて、浴恩園が見るだけの庭ではなく、使って楽しむ庭だったことが分かります。
[多数の「「みもの」]
浴恩園の図には、様々な花や遠方から取り寄せた名木など、さまざまな「みもの」があります。植物だけでなく「唐物灯籠」「青銅水盤」などの人工物も名前が書かれています。
現在では庭園自体を鑑賞するという考えが広まっていますが、伝統的庭園が盛んに造られた時代には庭園にある植物や装飾を楽しんだものと思われます。
【浴恩園跡地の現在】
卸売市場が2018年に移転した後、跡地は東京オリンピックの車両基地として利用されました。オリンピック終了後に調査が行われ、浴恩園の池の遺構が見つかっています。ただし、築地の再開発事業は既に動き出しているので、遺構の調査や保存がどうなるかは不透明です。
【基本情報】
施設の性格:大名家別荘
作庭年代: 江戸時代
状態:現存せず
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