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養翠園の借景と景色を楽しむ

【養翠園の概要】

和歌山県和歌山市にある養翠園 (ようすいえん) は、紀州徳川家第10代藩主 徳川治寶(はるとみ)により造営された大名庭園です。面積は約33,000㎡で、植栽は松を中心としています。国指定名勝であり、日本遺産「絶景の宝庫 和歌の浦」の構成遺産。

海とつながった汐入 (しおいり) の池を持つことや、西湖堤 (さいこつつみ) があることでも知られています。


西湖堤とは

直線的な堤と太鼓橋を組み合わせたもので、中国の名所蘇堤 (そてい) をモチーフとしています。養翠園以外にも小石川後楽園、旧芝離宮恩賜庭園、縮景園などの旧大名庭園に見られます。



池と松が風景の中心
池と松が風景の中心

養翠園の西湖堤
養翠園の西湖堤


【養翠園の風景】

養翠園の見どころの1つが東向きの景色です。

説明のために、配置を簡単にみておきます。

養翠園平面図
養翠園平面図

平面図を見ると東西に長い大きな池があり、池の西に主屋である養翠亭 (ようすいてい) が建っています。

養翠亭 
養翠亭 

池が大きいのは舟遊びのためと広々とした眺めのため、主屋が池の西にあるのは東向きの眺めを重視したためと思われます。

主屋前からの眺めがこちらです。

天神山と章魚頭姿山
天神山と章魚頭姿山

正面の山は天神山。紀州天満宮のある山です。山の手前には三連の西湖堤も見えています。ちなみに紀州東照宮があるのもおよそこの方角です。

写真右のほうには章魚頭姿山 (たこずしやま) も見えています。

養翠亭からこの景色が見える、というのが庭の基本的なプランだったのでしょう。


ただし現在養翠亭は一般公開していません。そのため、江戸時代に養翠園に来た人、例えば招待された家臣と現代の観光客ではすこし見え方が違うと思われます。


【招待客が見たであろう景色】

では江戸時代の人が見た景色はどうだったのか、ストリートビューで考えてみましょう。

大きな違いは、当時招待された家臣などは建物内を通って池に近づいたということです。


まず、正門から来た招待客はここから養翠亭に上がります。周辺に松などの林があり、この時点では庭の主要部も借景の山も見えません。


建物に上がりました。

この廊下を通って上段の間に進みます。この廊下は斜めになっていて、そのために畳も平行四辺形になっているという変わったものです。廊下の3カ所に段差がある点も注目。上段の間の方が高い位置にあるので、廊下を進みながら上ります。

一番奥が上段の間で、庭が良く見えるポイントです。視界が開け、広い池、松林、借景の山などがよく見えます。

江戸時代の招待客が見たのはこのような景色でした。つまり、建物と林で一旦視界が制限され、絶好の視点に着いたところで視界がパッと開けたものと思われます。


【その他のポイント】

風景以外のポイントにも簡単にふれておきます。

まず、すでに書いたように、西湖堤と汐入の池はこの庭の特徴です。池の護岸は主に紀州青石を積んだ石垣になっています (いわゆる石組らしいものは少ししか見えません。)。

また敷地の西部には外の水軒川につながった船蔵、船着き場があり、藩主は舟で養翠園に来てここから上陸したようです。


池の西にある主屋「養翠亭」は1821年に建てられたオリジナルで、藩主が使った部屋だけでなく供まわりの部屋なども保存されています。


【基本情報】

施設の性格: 紀州松平家の別荘

庭の性格: 遊びや饗応のための庭

作庭年代: 江戸時代

アクセス:

JR和歌山駅よりバス (30系統、雑賀崎方面行き) に乗り約30分、養翠園前で下車、徒歩10分

バスは1時間に1本くらいあります。

公開状況:公開 (有料)、年中無休

ただし養翠亭内部の見学には事前に相談必要

施設:トイレ、駐車場、

トイレは料金所より外にあり、有料区間にはないので注意

規模:面積約33,000㎡、順路の道のり約550m

(2023年12月訪問。情報は訪問時のものです)


【外部リンク】




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