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平等院庭園と浄土のイメージ

更新日:2月11日

【はじめに】

平等院庭園は浄土式庭園の貴重な現存例として、庭園の概説書には大体出てきます。ですが、一般的には鳳凰堂だけが有名で、あまり庭園のイメージはありません。

庭園のイメージがない理由は、ほぼ池と建物しかないからです。私も平等院庭園を初めて訪れた時、池と建物にしか意識が向かず、何かスカスカだと感じました。

ここで1つ疑問が生じます。浄土式庭園は西方浄土を表した庭園ということになっていますが、池と建物しか目立たないあれが浄土のイメージなのでしょうか?もっと華やかでなくてもよいのでしょうか。

今回はこの疑問を考えてみます。


平等院庭園
平等院庭園

【現在私たちが見る平等院庭園】

まず平等院庭園がどのような場所かおさらいしておきましょう。

・庭園の中心には池がある

・池の西部に中島があり、鳳凰堂が建っている

・鳳凰堂の前に灯篭が1つある

・中島にかかる橋と、池の周囲の州浜が復元されている。

これが平等院庭園の大まかな現状です。池の東岸に何もないのは良いとしても、池の中から西岸にかけても、建物以外は物が少ない感じがします。


【経典に描かれた浄土】

次に浄土のイメージについて見てみましょう。浄土の様子は『阿弥陀経』に描写されています。

・七重の玉垣、七重の羅網(網状の装飾)、七重の並木で囲われている。

・七宝の池があり、池の底は砂金

・池のまわりにある階段状の路は金・銀・宝石。建物も同様

・池の中には車輪のようなハスの花が咲き、赤、青、黄、白など、それぞれの色で輝く

・昼夜合計6回、曼陀羅華(聖なる花)が降ってくる

・白鵠(びゃっこう)、孔雀(くじゃく)、鸚鵡(おうむ)、舎利、迦陵頻伽(かりょうびんが)、共命(ぐみょう)などの鳥がいる

・常に素晴らしい音楽が鳴っている。

これらが『阿弥陀経』に描かれた浄土の様子です。全体的にきらびやかでものがたくさんあり、平等院庭園の現状とは大きく異なっています。


【絵画に描かれた浄土】

平安時代には浄土を描いた絵も存在します。絵画に描かれた浄土は、おおむね以下のようなイメージです。

・壮麗な建物が建ち並ぶ

・水面にはハスの花が咲く

・阿弥陀如来を中心に、多くの仏がいる

・金色の光や金銀宝石の輝きで彩られている

これらは『阿弥陀経』の描写に近いきらびやかなもので、やはり平等院の現状とは異なっています。


【『栄華物語』に書かれた浄土式庭園】

経典や絵画に描かれた浄土の様子と、平等院などに現存するいわゆる浄土式庭園の様子は大きく異なっています。この違いはどういうことなのでしょうか。


そのヒントは『栄華物語』に書かれた法成寺にあるかもしれません。『栄華物語』は平安時代の物語風歴史書で、藤原道長の時代を扱っています。物語風である分、脚色はあるでしょうが、描写が詳しいのが特徴です。

法成寺での仏事の日、庭の様子は次のように書かれています。


・池のまわりに植木があり、羅網がかかっている

・七宝で花を作り、仏像も同じく七宝で飾っている

・孔雀(くじゃく)、鴛鴦(えんおう)、迦陵頻伽(かりょうびんが)などの鳥が見える(筆者注:作り物かも)

・高級な香を焚いた

・金の鈴が柔らかに鳴り、正午ごろには鐘も鳴って、響きが素晴らしかった

(巻17 「おむがく」より)


また別の日、別の仏事では次のように書かれています。

・池のまわりに七宝の樹を立て、金銀の網をかけた

・孔雀(くじゃく)、鸚鵡(おうむ)、迦陵頻(かりょうびん)などの形を造って灯をともした

・池にはハスの花を作ってそこに灯をともした

(巻19 「御裳着」より)


これらからすると、儀式の際には『阿弥陀経』の描写を手本として飾りつけが行われたようです。


また、藤原 宗忠(1062~1141年)の日記『中右記』も参考になるでしょう。1118年の日記に平等院で行われた仏事の記録があり、 「前池作蓮花水鳥樹林洲鶴砂鴒作立之。或桜花。或紅葉。水中岸上己無其隙」と記されています。


これらからうかがえるのは、浄土式庭園は庭園だけで完成ではないということです。庭園の池や建物に加えて造花などの装飾、音楽などの演出をすることで、浄土のイメージが完成したのでしょう。

これが筆者の出した暫定的な答えであり、現在私たちが見ている平等院庭園は空っぽの舞台でしかないというのが筆者のイメージです。


【まとめ】

以上、平等院庭園と浄土のイメージについて考えてきました。

『阿弥陀経』や浄土曼荼羅に描かれた浄土のイメージはものが多くきらびやかです。現在の平等院庭園はモノが少ないですが、頼道の時代には仮設の装飾がたくさんあったでしょう。


現在庭園は独立した芸術として語られがちですし、石組のような変わらない部分が注目されがちです。それはそれでよいとして、造った人々は庭園を舞台装置として扱い、仮設の装飾をしたのだということを一応付け加えておきます。


【補足】

ここまで書いてきたことが、他の寺院にも当てはまるかどうかはまだわかりません。法成寺も平等院も藤原道長、頼道という当時最高の有力者が関わった寺院です。ほかの浄土式庭園を見ると建物も平等院より大幅に質素ですので、平等院庭園は浄土式庭園の中でも格別に華やかなところだったと思われます。


【基本情報】

所在施設:平等院

所在施設の性格: 仏教寺院

庭の性格: 浄土式庭園

作庭年代: 平安時代

アクセス: JR宇治駅、京阪宇治駅から徒歩で10~15分

公開状況:公開 (有料)


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貴重資料デジタルコレクション 中右記 第三冊(元永元年・秋冬)

鳳凰堂阿弥陀浄土図と平等院庭園

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