野崎の記念碑はオベリスク×日本庭園
更新日:2023年9月22日
岡山県倉敷市児島地区にある野崎の記念碑こと野崎武左衛門翁旌徳碑(のざきぶざえもんおうしょうとくひ)は、塩田王と言われた野崎武左衛門の記念碑。周囲が庭園となっている。
武左衛門は江戸時代後期の実業家で、児島を含む岡山県南部で大規模な塩田開発を行い、日本有数の塩田地主となった(JR児島駅を含む児島の新市街も野崎家の塩田だったところだ)。
その邸宅は「旧野崎家住宅」として保存され、国の重要文化財に指定されている。武左衛門は児島の歴史を語るうえで欠かすことのできない人物であり、児島の旧市街と新市街を結ぶ大通りが「武左衛門通り」と名付けられるなど、郷土の偉人として記憶されている。
【野崎の記念碑について】
さて、記念碑だが、これは明治時代に、武左衛門の業績をたたえて孫の野崎武吉郎が建てたオベリスク型の記念碑(長さ12m)だ。この記念碑と門柱、記念碑前の石橋も国の登録有形文化財。
庭園は記念碑の周囲にあり、40m×80mほどの大きさ。かつてはこの3倍ほどの広さがあったそうだ。門から記念碑までまっすぐ続く路を軸にして、敷地全体としては対称的な配置になっているが、記念碑の前にある池は不整形・非対称でこのあたりが一番日本庭園らしい。石組があるのもこの池の周り。
日本庭園にオベリスクという珍しい組み合わせだが、顕彰のための施設なのでむしろオベリスクがメイン。
この庭園については前回児島に行った時に行き逃していたので今回行けて満足。前回も存在は知っていたのだが正確な場所を知らないまま、「疲れたから寄り道はやめよう」と思ってオミットした。今回ちゃんと場所を調べたら別に寄り道ではなくて、野崎家住宅に行く途中にあった。前回は一つ前の交差点で曲がったので気づかなかったのだ。ともあれ、行けてよかった。
【基本情報】
・施設の性格:顕彰施設
・庭の性格:顕彰施設の修景
・作庭時期:明治時代
・設計:不明
・公開状況:自由観覧
・アクセス:
JR児島駅から徒歩12分。
旧野崎家住宅に行く途中にあるので、セットで訪問するのがおすすめ。
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